もう一度「愛がなんだ」について考えてみる

 

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「なぜだろう。私は未だに田中守ではない。」

 

物語の登場人物

 

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山田テルコ・・・20代後半の独身女性。この物語の主人公。友人の友人の結婚式で出会った田中守に恋をする。好きと嫌いという区分ではなく、好きとどうでもいいになってしまう。物語のなかでは守に惹きつけられ、他のことを全て放り出して守に尽くす姿が描かれている。

 

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田中守・・・テルコの好きな人。雑誌の編集者。劇中で観る限りかなり鈍感な男で、テルコの気持ちを汲み取れない。よくしてくれるテルコに甘えつつ、自分の好きなすみれさんにアタックしている。葉子的には実の父に似ているらしい。

 

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坂本葉子・・・テルコの友人。ドライそうに見えて意外と世話好き。テルコのゾッコン具合に呆れている。仲原の気持ちを知っていながら、そこにつけ込んで雑に彼を扱っている(そういう意味では彼女のしていることは守がテルコにしていることとあまり変わらない)。

 

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仲原青・・・葉子の仕事仲間。写真家。葉子に好意を抱いている。物語の後半で葉子との関係性に悩み、テルコと葉子に別れを告げようとする。

 

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すみれさん・・・守の好きな人。守に言わせれば「がさつで自由奔放」。思っていることをはっきりという。しかも割と世間的な正論が多い。

 

物語のあらすじ

 

テルコと彼女を取り巻く人々の愛のかたちを描いた物語。

 

物語の特徴

 

世の中にあるまだ名前のついていない気持ちを探る。

 

山田テル子について思うこと 

 

 この映画を観たことのある人はテル子に対してどのような印象を抱いているのだろうか。正直、ファーストインパクトは「なんだこの女」と思ってしまった人が多いのではないか。既に家に着いているのに「まだ会社にいる」と嘘をつき、夜遅くに男の家に行く。ご飯を買ってきて欲しいと頼まれただけなのに浴室の掃除まで始める。いくらなんでもやりすぎだろうというシーン。世話好きを通り越してお節介も通り越しそうな勢いである。ただ、物語が進むにつれて自然とテル子の気持ちに共感できることも増えてくる。それは、単純に守の態度や接し方をテル子側から感じとり、そこから生まれてくる苛立ちなどに共感しているということのみに尽きない。なぜなら物語中盤で彼女自身も自分自身を突き動かしている感情がなんなのかと悩んでいることに私たちが気が付くからだと思う。

 

テル子と守について

 

 この二人の関係性が物語の主軸であることに違いない。ひたすら想いを寄せる彼女に対して守がそこにつけ込んでいるという印象だ。前半では彼女のゾッコンぶりが描かれているが後半はどちらかというと、彼女自身の守に対する執着心への悩み、「愛とは何か」というこの映画の主題が描かれる。

 二人の関係性を見ているとテル子の惚れっぷりが目立つ一方で守のテル子に対する接し方も悪い意味で目立つ。他人の感情に鈍感というか、「なんでそこでそういうこと言うかな」みたいシーンが多い。ずるいのは、そういう自分の態度の鈍感さに全く気がついていなくて飄々としているところだ。なかなか憎めない。

 

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テル子の悩みと主題

 

 この映画の主題は「愛とは何か」だと上記で語ったが、メッセージはまた別のものであると私は考えている。それはタイトルの通り、まさしく「愛がなんだ」という問題提起である。

 主題に関しては映画を観てから誰もが自分の人生経験に照らして考えるだろう。「あの時好きだったあの人のことを私は本当に愛していたか」「人を愛するという経験が今まであっただろうか」。自分自身の愛の定義・経験について思いを巡らせるだろう。その時、劇中でテル子が仲原に対して放った言葉がふと蘇る。

 

「愛がなんだってんだよ」

 

 これがこの映画のメッセージである。このセリフは葉子との関係性に悩んだ仲原が「葉子のことを好きでいることをやめる」と宣言した際の対話の中でテル子が放った言葉である。

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 仲原とテル子はある意味似た境遇にいる者同士である。お互い強烈に好意をもつ相手がいながらその関係性に悩む者同士。後半、揺れ動く関係性の中で先に芯が折れたのが仲原だった。愛というものがわからなくなって、耐えきれなくなってしまったわけである。

 テル子は表面上仲原のことが理解できないというようなことを言っているが仲原の気持ちを痛いほどわかっている。なぜなら自分も同じだからだ。

 だからこそ、この対話のシーンでのこの一言は決断の一言であったと思う。愛なんてもので自分の感情は語れないし、語らない。なぜなら、この執着がなんなのか自分にもわからないし、そこに定義や正論なんてものは存在しない。だからこそ自分の感情を「愛」という定義に落とし込んで諦めの理由に結びつけることはしない。私は仲原とは違う道へ行く。そういった決断だ。

 このシーンは見応えがあったし、非常に訴えかけてくるものが多かった。世の中にはまだ名前のついてない気持ち・感情が無数に存在するということを高らかに肯定してくる。

 

フレーミング

 

 上記で自身の感情を「愛」という定義に落とし込んだ仲原について述べたが、これは誰しもがやっていることだ。辞書で定義されているように完璧じゃなくても誰もがものや感情に対して、自分の中の定義と照らし合わせてそれを縁取りアウトプットしている。そうでもしなきゃ私たちは考えることができないし、何も語れない。

 ただ、だからといって何でもかんでも縁取れるかというとそれはやはり違うだろう。私の「怒っている」はあなたの「怒っている」とかなり差があるかも知れない。

 あなたは「愛」を縁取ってアウトプットできるだろうか。それとも語れないものとして、自分自身にしか理解できないものとしてテル子のように進むか。

 

ざっくりとした感想

 

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 まあ正直めっちゃ良かった。キャストも素晴らしいメンバーだったと思う。田中守は原作だと本当にただの冴えない男として描かれているが、成田凌さんが演じるとイケメンだけど鈍感すぎるという新しいキャラクターになっていた。追いケチャップは最強。岸井ゆきのさんの演技には脱帽である。絶妙な表情の演じ方が際立っていたと思う。後、岸井さんのインタビュー記事で「テル子の何もかも捨てて向かっていく熱量が羨ましい」という言葉には共感できた。天才とかって多分こういう熱量を持つ人だと思う。深川麻衣さんは今作で初めて出会った女優さん。元々、乃木坂46にいたことも今回初めて知った。葉子のドライな性格とあどけない一面を上手に演じているなと思った。

 で、私が一番感動したのは若葉竜也さん。仲原という絶妙で難しい役柄を見事に演じ切っていた。後輩が「邦画は今まで仲原のようなポジションを描かなかった」といっていたがまさしくその通りだと思う。映画内で私が一番好感を持てたのは仲原だったが、若葉さんの演技あってのことだと思う。

 一度このブログで「愛がなんだ」については書いていたが、どうしても納得できなくてお蔵入りにしていた。今回の記事はその後に何度も見直して、自分がこの映画から感じとったものをまとめた最新のものである。お蔵入りの記事は永久にお蔵入りだと思う。少し恥ずかしいことも書いていたので。

 是非、この映画は観てみてほしい。ぼんやりとしたものかもしれないが、何か感じるものを得られるはずである。