ジョーカーを観た後の落ち込みが止まらない

f:id:apollomaron-apo5w:20191014225329j:plain


 

話題のジョーカーを観てきた。本作は、バットマンの悪役であるジョーカーがいかにして生まれたのかを描いたものだ。

 


ジョーカーはジャックニコルソンやヒースレジャーなど名優と呼ばれる俳優によってこれまで何度も演じられてきた。特に、僕世代の人はヒースレジャーの演じたジョーカーを強烈に思い出すに違いない。ダークナイト公開を待たずにこの世を去ってしまったヒースの演技は、その徹底した役作りによって観る者を畏怖し、また魅了した。ノーラン監督のバットマン三部作の中で、ダークナイトが圧倒的な評価を得るのは彼のジョーカーがいたからだと言ってもいいと思う。

 


今回ジョーカーを演じたのはホアキンフェニックス。すでに話題になっているので、知っている人も多いと思うが、役作りにあたって24キロの減量をしたそうだ(ハリウッド俳優の減量、増量は毎回ストイックすぎるのでちょっと心配になってしまう)。herで観た彼の姿とは全く違った形相なので最初は同一人物であることに気がつかなかった。

 


結論から言えば、彼の演技は素晴らしかった。身体の使い方から表情まで、アーサーという架空の男を見事に体現していた。ディテールへのこだわりはヒース演じるジョーカーにも引けを取らないものだった。

 


彼の演技で印象に残っているシーンが2つある。1つは、冒頭の楽屋で鏡に向かって涙が出るほど口角を引き上げるシーン。左目から一粒の涙が溢れ、目の化粧が落ちる。黒い涙が滴る。僕は冒頭のこのシーンで泣きそうになった。こんなにも悲しい人間の表情があるのかと。まだアーサーの人生に触れてもいないのに行く末を暗示させるかのような黒い涙。たったのワンシーンだがアーサーの悲しみがいかに大きいものなのかを感じた。

 


2つ目のシーンは尊敬するコメディアンの番組で自分の映像が流されたシーン。彼は感激して心の底から笑いをこぼす。アーサーは設定上の脳の病気で緊張すると笑いが止まらなくなるということになっている。そのため、劇中では「なぜここで」というタイミングで彼が笑いだす。ただその笑いはどれもネガティブなのだ。笑っているようで全く笑ってない。ただこのワンシーンだけは、本物の笑いなのだ。そしてそれがアーサーとしての最後の笑いになる。この笑いの微妙な変化を演じ切ったホアキンの演技力は並大抵のものではない。

 


ジョーカーと言えば、残虐で悪の親玉みたいなイメージがあるが、アーサーという男は決して悪ではない。彼の人生における境遇、病気、疎外される個性、どれも彼が望んでいるものではない。明らかな理不尽は偶然によってもたらされている。

 


彼の人生は転換点を得て(その転換点はいくつかあるのだが)、悲劇から喜劇へ変わるわけだが、それが同時にアーサーの人生からジョーカーの人生への転換となっている。決定的なのは警察から逃げる際にピエロの仮面をゴミ箱に捨てるシーン。なぜあのシーンがアップにされているのか疑問だったが、考えるうちにあれがジョーカー誕生の瞬間を暗示する重要なシーンなのではないかと思うようになった。すなわちピエロの仮面は「アーサー」を示しているのだ。アーサーという仮面を捨て去り、自由な生を、ジョーカーとしての人生を彼は歩み始める。

 


人間は誰しも二面性を持つものだ。「やめろ」という自分もいれば「やれ」という自分もいる。多くの人間は、その均衡を保ちながら世間を生きている。アーサーもそれは変わらない。しかし、彼のあまりにも理不尽な境遇は彼の二面性のバランスを破壊してしまった。そしてそこに現れたのがジョーカーであり、捨てられたのは孤独でひ弱、心優しい「アーサー」という仮面だった。

 

 

 

先の文で、ジョーカーの理不尽な境遇について触れた。彼が住むゴッサムシティは分断された世界である。富裕層と貧困層が入り混じり、不平等が蔓延している。象徴的なシーンは貧困層のデモが行われる中で、富裕層がチャップリンのモダンタイムスを優雅に感激しているシーンだ。

 


多くの批評ブログでも取り上げられているようにこれは現代のアメリカ社会を象徴しているものだと言える。トランプが大統領になって以来、アメリカ社会に大きな分断があることは散々取り上げられてきた。僕自身も大学時代アメリカ史に取り組んでいたので、その辺りの事情はなんとなく想像がつく。

 


最近のハリウッド作品は、社会問題に対して非常に敏感だ。エンドゲームの後半で女性ヒーロー陣が大活躍するシーンなどあからさまと言ってもいいほどの演出だった気がする。

 


ただ、この映画を観た多くの人が共感する理由はやはりこういった背景を現実と照らし合わせて考えてしまうからだと思う。誰もが感じている現実の不平等、堆積している不満、そういったものがこの映画では丁寧に描かれている。

 


終わりに

 


観劇後、近くにいた女性客が「まじでつまんなかった」と言っているのが聞こえた。この言葉は捉えようだと思う。

 


僕は「面白くなかった」と思っている。なぜなら笑えるシーンなど1つもなかったからだ。どのシーンをとっても悲しみが溢れる。ここまで映画を観て落ち込んだことはない(シャイニングを観た時は別な意味で落ち込んだが)。

 


だからといってこの作品を批判しているわけではない。映画としての完成度は非常に高いし、製作陣のこの映画にかける熱量を感じられる。

 


観に行って損はないが、くれぐれも入り込みすぎないようにしよう。