「」エッセイ②

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#1

 雨が建物を打つパラパラという音としずくの滴るポタッという音が白熱電球で照らされた淡い空間に響く。午前0時を過ぎたリビングルームで冷たいリンゴジュースを飲む。斜め前の棚からブタの貯金箱が寂しげな目線を向けている。小学生の時、夏休みの課題で作ったスイカパンツのブタ貯金箱である。少なくとも十年以上は同じ場所に鎮座している。そして立ち上がることができない。

 雨は嫌いなのに、雨の音は嫌いじゃない。たまに晴れの日に「雨の音」と題された自然の音を聴くことがある。イヤホンを耳になじませて、そっと画面をタップする。目を閉じると、雨の世界に落ちていく。

 でも、雨の音は実は雨の音ではない。正確には雨とモノが接触する時に出る音だ。雨が音を持っているわけではない。

 その音は、モノの境界を連呼する。雨はモノに「ぶつかり」、「音を鳴らす」ことでそこに確かにモノが存在していることを喚起する。それは世界には境界があり、確かなモノとモノが存在していることを美しい音で体現する。

 「接触する」「触れる」という単純な事象の先にモノは存在する。というよりも、あらゆる認識の元には必ず「接触」がある。聴覚なら空気の振動が耳に「触れる」。視覚なら「光の反射」が目に「触れる」。愛なら相手の思いが私の琴線に「触れる」。

 

 

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#2

 夕方になると、ランニングシューズを履いて街に走り出していく。起伏の多い道を一時間ほど好きな音楽を聴きながらゆっくりと走る。

 自分はたいてい夕方しか走らない。この時間帯を選んで走る理由は二つある。一つは、家の匂いを嗅ぎたいからである。匂いフェチの変態かと言われれば、そうとも言えるかもしれない。

 夕方の街は、匂いに溢れている。風呂場から漏れ出るシャンプーの匂い、晩ご飯の匂い、洗濯機から出る洗剤の匂い。色んな匂いが、家々を走りぬけるたびに嗅覚に捕らえられにくる。その度に「ああ、ここのウチはカレーか」とか「これはアタック」とか「ああ、この匂い友達にいる~」とかやっている。

 二つ目は、家の明かりを見たいから。これも捉え方によっては空き巣の目線っぽく誤解を招きそうだ。昼間は家を見ても、人が住んでいるのかわからない。住居なんだから住んでるに決まっているというのは早急すぎると思う。でも、夕方になって窓に明かりが灯り始める時、そこには人の存在を感じる。確かに人がそこで生活をしていることが感じられる。

 二つの理由は、実は根本的に言い換えると一つの理由となる。夕方には人の生活がある。だから、僕は夕方に走りに出る。家から漏れ出る匂いを感じ、境が見えにくくなった家に灯る明かりを見る。そして、そこに知らない誰かの知らない人生が進行しているのを見る。あの家にも、向こうの家にも人は確かにいて、帰宅し薄暗いへやに明かりを灯したり、くだらないことを話したり、カレーを食べたり、メリットのシャンプーで髪を洗っていたりする。

 当たり前の日々が当たり前に続いていると、いつしかその当たり前がどれだけ当たり前に大切なのかを忘れてしまう気がする。だから、夕方の街に繰り出し誰かが当たり前に生活をしているのを見て「ああ、今日も当たり前が当たり前に営まれているな」と実感しにいく。当然だと思っていることは簡単に覆される。日常は簡単に崩れる。「当然」という堅固なイメージを持つ言葉は実は砂上の楼閣にすぎない。だから、当たり前は忘れないようにすることが大切なのだ。と信じている。

 ぼやけ始める視界の先に、もっとも当たり前が浮かび上がるという不思議な時間帯。「黄昏に生きる」。いや「黄昏に走る」。

 

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#3

 オーストラリア中部の原住民は、楕円形に加工された石や木(そうでない場合もあるらしい)に象徴記号を彫る。出来上がったものは「チューリンガ」と呼ばれる。チューリンガはある特定の祖先一人を象徴するもので、その祖先の生まれ変わりとされる部族の人間に授けられる。チューリンガはよく使われる近隣の通り道にある岩陰などに隠され、度々取り出されては色を塗り直したり、再加工される。チューリンガを通して人は、祖先、自我、そして子孫へと再現する同じ人間としての個我を越えたアイデンティティを所有する。レヴィ=ストロースはチューリンガを「物的に現在化された過去」と言った。同地域の原住民にとって景観(自然)は展開されたチューリンガとして「物的に現在化された過去」であり、歴史を越えたアイデンティティの基盤をなしている。

 社会学の泰斗、真木悠介は「時間の比較社会学」の中で原住民の世界把握に関して「「対象的」世界は主体の存立そのものの契機として感覚される」と述べている。例えば、アメリカ原住民に対して白人が行った解体の歴史の中で、原住民は略奪や虐殺よりも、自然の破壊や土地の追放に対して深い怒りと絶望を示したという事実がある。彼らにとっては、土地=自然こそが全ての過去を現在化しており、彼らの存在に恒常性をもたせ保証していたのだ。土地=自然を破壊することは、過去の破壊かつ解体であり、過去によって存立していた現在をも解体し無に帰らせることだったに違いない。

 この話を聞いて真っ先に思い出されたのが「涙の旅路」である。1830年の「強制移住法」によって後にオクラホマ州となる場所に設けられた居留地アメリカ先住民のチェロキー族が強制的に移動させられた。教科書的な説明では「涙の旅路」の由来は移住時の病気や事故で多くの犠牲者がでたことからとされている。実際、高校時代に世界史の授業で勉強した時は名称に対して違和感があった。教科書の説明が名称の由来だとするならいささか「大袈裟」な気がしたからだ。確かに強制移動という事実やその途上で多くの命が失われたことは悲しい事実だし、移動の強制を行った移住民(「白人」で括っていいのか怪しいので)たちの行為は許されるべきではない。ただ、あくまでも「移動」である。居留地があり、そこで生活することができる。この時代やそれ以前の時代にこの土地で移住民が行った愚行の数々と比べるとまだ寛容に見える。これが、高校生時代に僕が「涙の旅路」という名称に対して違和感だ。

 教科書の説明を引っ叩いてもしょうがない気がするが、教科書の説明は強制移動という事実が如何なる意味で「涙の旅路」なのかを説明しきれていない。なぜなら、由来を強制移動が引き起こした事象に向けているからである。それらの事象は確かに悲惨なものだったかもしれない。しかし、焦点の絞りどころはそこではない。原住民の世界把握、すなわち土地=自然を介しての「物的に現在化された過去」やそれらを通じた現在・過去に対する共時的感覚の先に宿る自我から「涙の旅路」という事象を考えるなら、その名称の由来が強制移動という事象そのものに由来することがわかる。チェロキー族にとって強制移動(土地の破壊・解体・追放)は何よりも、過去の解体であり、過去を存立の基盤とする現在、そして自我の解体だったのだ。その事実が、彼らにとっては最も深い絶望だったはずである。それは、物理的な死を追い越してやってきた精神の死に近いものだったのではないかと思う。そう考えたとき「涙の旅路」という名称とその由来に関する違和感は崩れていった。

 

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#4

 最近、僕にあった人は気づいているかもしれないが僕は左手の薬指にFの文字が大きく入ったリングをつけている。別に婚約指輪じゃない。

 この指輪、実は自分で気に入って買ったものではなく、もらったものでもない。別のアクセサリーをオンラインで購入したら、なぜか袋に混入していたのだ。間違いなく誤配である。ただ、悪くはないデザインだし、リングなど所有してなかったので気分でつけることにした。薬指に着けていることに意味があるかというとこれにも大きな意味はない。一番薬指がフィットするからというだけだ。左についているのは、自分の利き手が右で、何かしらの動作に伴って使う右手につけていると邪魔だからという理由に過ぎない。

 という感じで、なんの気もなしにつけていたリングだが、つけ始めてからある程度が経ち、自然と愛着が湧いてきた。こういうものは意外と多い気がする。学生の頃使ってた通学鞄とか最もではなかろうか。3年間使い切り、いざ処分するとなると少し悲しかったりする。そこには様々な思い出が意図せず刻まれているからだ(僕の学生鞄はもうほんとボロボロだった。というのも当時置き勉が嫌いで、時間割の教科書を全て学生鞄にぶち込んで登下校をしていたからである。当然のごとく鞄はパンパンのパンで、それを見た父に「セメントでも詰めてるのか」と言われたのは良い思い出(?)である)。

 愛着が生まれてくると何かしら意味を持たせたくなる。そこで僕は自分なりにこのリングを身につける意味を勝手に作ってみようと思ったのだ。

 まず、リングに大きく刻まれるFの意味だ。これは「自由(free)」を意味する。そうすると、こう思うのではないか。「自由を意味するとして、それを何かと結び付けるということは自由が拘束されていることを意味しているように見える」と。最もだ。自由のイニシャルをリングに埋め込み身につけるとは、ある種自由に制約を課している象徴に見えなくもない。ただ、自由とは元々制約ありきではなかろうか。無制約の自由は本当に自由だろうか。例えば、殺人は制約のない自由の実現として正当化されるだろうか。正当化されないだろう。なぜなら、それは他人の自由を侵害しているからだ。それは自由ではなく、欲望の奴隷である。社会的動物である人間は、自由の無制限行使を貫いて生きることはできない。人間の生存条件は自由の無制限行使によってはなされない。それを正当化すると、条件そのものを崩しかねないからだ。自由には手綱をつけなければいけない。そして、その手綱の中で自身の力を最大限に発揮することこそが、自由の行使なのだと言えるだろう。では、その「手綱」とは何か。

 手綱は理性である。人間は理性によって欲望をコントロールし社会生活を営んでいる。理性は複雑だ。理性は利己的な純粋目的(自己複製)に向かうための自己のコントロールを司る。そこでは利己性と利他性が絡み合う。さらに言えば利他性は、純粋目的のために生得的に獲得しているもの(人類の歴史の所産)と、人間が社会的な生活を営むために後天的に獲得するものに分けられる。前者は主に無意識の領域にあり普段は表に出てこない。直感に繋がるこの利他性は制御が効かない。例えば、電車に轢かれそうなお年寄りを、身をもって助けに走る時、あなたは特別な理由(助けたら褒められる、褒賞を得られる等)を考えて助けにいくわけではないだろう(面白いのはこうした自己犠牲的行為がその根源に利己的な目的を据えながら、それが生み出した利他性によって目的を為し崩すという連関である、人間は不合理な生き物なのだ)。一方で、後者は前者に比べてスローに働く。これが普段僕らが言うところの理性である。周りの状況や人間関係を精査して考え、自身の欲望をコントロールする。

 理性の利己性と利他性の前者的特徴はあまり「手綱」としての役割を果たさないだろう、なぜなら、それは緊急事態の時にしか出てこないケアの力だからである。着目するのは、理性における利他性の後者的特徴だ。すなわち、後天的に得られる理性の一部分である。この能力が主に自由の手綱となって、自由の制限的行使を事実上可能とするわけだが、後天的に獲得するというだけあって人によって、理性の部分は異なる。すなわち経験し、学び得たものが欲望のコントロールに反映できるわけだ(このことが即時的な欲望の完全コントロールを意味するわけではない。なぜなら、生命の危機等の緊急事態に際しては上述で述べたような理性の生得的な部分が無意識に突出し行動を促すからである)。

 ここから先は、僕の完全な偏見だが、自分はこの「手綱」になり得る部分の理性を自身の「哲学」だと考えている。それは、社会的生活、そして自身の生活を整える規律権力のようなものだ。もちろん、手綱としての哲学で自分をコントロールできるなどと思っていない。しかし、自身の中に宗教で言うところの戒律のような強力な概念装置を置いておくと生きやすい気がしたのだ。そして、その戒律は自分が自由を最も行使できるように構成されているオリジナルなものとして設定される。性格や年齢の変遷によって随時、改正を加えながらつくり上げる(ここまで書いて気づいたが、僕が学術を学ぶ本当の動力源は、多分自分の哲学をつくることにあるのだろう、この文章の本旨とは関係ないが)。

 さて、リングの話に戻ろう。ここまでの話をまとめると、「自由(F)」を「リング(「手綱」として哲学)」て身につけるということだった。最後は、それを左手の薬指につけるという意味だ。強引な解釈を始めてみよう。

 ネット検索トップのリングをつける指の解説には、左手の薬指に関してはこんなことが書いてある。

 

「薬指は、創造性を象徴する指。特に左手の薬指は、昔から直接心臓につながっているとされ、命に一番近い指として神への聖なる誓いの指とされていた。」

 

 ここで注目したいのは「誓いの指」という表記だ。例えば、婚約指輪ならこれは愛への近いという言葉に変換できるだろう。上述までのリングに持たせた意味(勝手に)から解釈するならば、僕にとってそれは「自分自身を自由に導く「手綱」としての哲学への誓い」と変換される。これが、左手の薬指につける意味として考察できるとこだろうか。

 

 何を書いているんだろうか。夜のテンションとは怖いものだ(翌朝の自分)。