愛猫に捧げる最初で最後の言葉

f:id:apollomaron-apo5w:20200728015731j:plain

 

 

「醒めないまま 音が止まり 針は進む

行かないと 街の波間 漂いながら」

 

 

 

 

 

 2、3ヶ月前、高校の友人と久しぶりに電話で話していた。その中で、不意に友人が「あの子亡くなったんだ」と言った。「あの子」とは、その友人や僕と一緒のクラスだった女の子である。友人は、通学バスで3年間一緒に通っていたこともあり女の子の親にも認知されていた友人でもあったので、亡くなった後連絡が入ったらしい。

 友人との通話が終わった後、なんとなくLINEの友達リストから彼女のアカウントを見に行った。ポストは2015年で止まってる。少し下に行くとアプリゲームの共有をした形跡や高校時代の話が投稿されていた。確かにそこには彼女が打ち込んだ文字があり、彼女はそこに存在していた。

 

 

 

 

 

「変わっていく景色にも 見慣れはじめた頃に

君だってきっとそう 気づいてしまうはずなんだ

特別な日にだって やがて終わりはくる」

 

 

 

 

 

 僕が高校生の時、中学校の友人と夜の道をだらだらと歩いている時があった。季節も忘れてしまったし、ほんとそのひと時、その話をしたことしか覚えていない。その友人とは部活動が同じだった。今でこそ、「運動音痴」にすら見られてしまう僕だが中学の頃までは運動お化けだった。彼と一緒に野球をやっていた。

 思い出話に花を咲かせているうちに、中学時代の部活動の話になった。キツかった練習の話とか顧問の話とかでそこそこ盛り上がり、そろそろ話も落ち着きそうだなっと思ったその時、友人が唐突に「あの先輩亡くなったんだよね」と言った。悪い冗談かと思って、友人の顔を見たがその顔は全く笑っていなかった。

 その先輩は、自分が野球部時代に最もお世話になった先輩だった。他の新入部員たちと違って部活から野球を始めた僕は人一倍下手くそだった。最初の軽い練習では、二人1組になって練習をすることが多い。下手くそなので、なかなか一緒に組んでくれる人もいないし、自分から声をかけるのも悪い気がして、最初の頃はどうしようもなく突っ立ていることが多々あった。そんな時に、いつも声をかけてくれるのがその先輩だった。中学校なんてもう何年も前に卒業しているが、その時のこと、その時の温かさは忘れたことがない。

 先輩は自殺だった。何が引き金になったのかはわからない。ただその話を聞いた時の絶望感と記憶の捻れから来る気持ち悪さは耐え難いものだった。存在していた人は、実はもう存在していない人になっていた。そのラグに浮遊する存在の無い存在とは一体なんだったのか。

 

 

 

 

「理由もなく突然に」

 

 

 

 

 先日、家でイラストを描いていた。休憩の合間にTwitterを眺めていたら、「三浦春馬」というトレンドを発見した。ドラマの宣伝かゴシップ、そのどちらかだなと思ってなんの気もなしにトレンドをタップすると、その先に繋がるはずのない言葉が続いていた。「自宅で首吊り自殺」。結びつくはずの無い言葉が並んでいると、人間は意味のわかる言葉でも混乱するのだということがわかった。

 彼がなぜ死を選んだのか。遺書が残されていたとのことだが、結局は誰にもわからない。彼が知っていたかすらわからない。不穏な何かに突き動かされるということが誰しもある。疲れている時、どうしようもなくなる時、そっと語りかけてくる声は優しくて、自らの手を引くその手は恐ろしく冷たい。

 「死は大切な人のもとへ向かう」とはThe 1975のボーカル、マシュー・ヒーリーが`I always wanna die (sometimes)`という曲で歌う詞だが、その意味がはっきりとわかった出来事だった。

 

 

 

 

「醒めないまま 音が止まり 朝がきても

今はまだ不安なんて忘れていられる

近づけば消えてしまう霞の中

煌めいて 怖い夢にはぐれないように」

 

 

 

 

 彼に最初に会ったのは、14年前の夏だった。鮮明に覚えている。母方の祖父母の家にお邪魔していてその帰りの出来事だった。家の駐車場に車を停める時、ヘッドライトの先に小さい猫の姿があった。母と「猫がいるね」なんて話しながら、車を降りて玄関へと向かった。玄関を開けたその瞬間だった。さっきの猫が家の中にスッと入っていったのだ。母と二人で「あれ!」と素っ頓狂な声をあげても動じない。人に慣れているのか、出ていく気配もない。「ご飯だけでもあげようか」となんとか外に彼を出して残り物のご飯に鮭のフレークをまぶしてあげた。

 彼は、次の日になっても家の周りにいた。夏休みで父も自分の創作活動をしたり、庭の草取りをしたりと外で作業をしていることが多かった。彼は、父の周りをうろちょろしながら、虫を追っかけてみたり、日向ぼっこをしたりと自由に過ごしていた。

 あまりにも僕たち家族に親しげなので、最初は一緒に暮らすことに後ろ向きだった親も「まあ、いいか」というような調子になり、結局彼と暮らすことになった。

 その時に、母が言っていたこと今思い出す。「いつか亡くなること、その辛さに向かい合わなければいけないことは受け入れなきゃいけないよ」。

 

 

 

 

「歩んでくテンポは 刻む鼓動に合わせ

チクタク いつも いい調子さ 暗い闇でもキープして

行く先がどこでも やりたいことたくさん

このビートでぶっとぶ」

 

 

 

 

 彼との思い出は山のようにある。小さい頃は、お互いガキだったので近くの原っぱにくり出して追いかけっこしたり、彼のことを付け回してみたりしてた。彼が他人の家の畑でうんちしてれば親に報告したし、バッタをムシャムシャ食っているところを見てしまい「まじかよ」と呟くこともあった。で、大体その後吐いてるので呆れたりもした。

 恐ろしいほど、人懐っこく玄関に誰か来るといつも擦り寄っていってた。動物が苦手じゃなければ大丈夫だと思うが、苦手な人にはたまったもんじゃないなとも思った。

 ガタイは良かったが、あまり強い雄ではなかったと思う。がさつに見えて、実はとても繊細で線の細いタイプだった。他の猫と喧嘩して大きな声で鳴いているのを何度も聞いたことがあるが、なんとも気合いの入らない声だったのをよく覚えている。相手の声が太くてたくましいとすれば、彼の声はミドルボイスのような声。彼が鳴いている様子を見つめている相手の顔が奇妙な生き物を見る形相だった時は笑ってしまった。

 大きくなるにつれて、彼との付き合い方も大分変わった。僕が家にいないことが増えたし、あまり小さい時のような激しい戯れあいはしなくなった。お互いが大人になったからなのかもしれない。それでも、たまには一緒に寝ることはあったし、彼がちょっかいをかけてくることもあった。腐れ縁の友人のような、兄弟のような、そんな関係だった。

 

 

 

 

「さぁ その手を離すなよ」

 

 

 

 

 数年前から、あまり調子がよくなかった。何年か前に口内炎になりものが食べられなくなり、酷く弱った時があった。猫の口内炎は人間のそれと違って致命傷になることが多い。一瞬嫌な想像がよぎった時もあったが、その時はなんとか持ち直した。

 去年の秋口から冬の間だったと思う。僕自身も忙しくて、詳細なことは覚えていないのだが、恐らく交通事故にあったと思われるかたちで家に戻ってきたことがあったらしい。その時も、容態は良くなく、死がチラついた。しかし、そこでも彼は持ち直し、正月に実家に帰った時には元気な姿を見せてくれた。最新機種のiPhoneで写真をたくさん撮った。

 最後に会ったのは、多分3月23日。コロナが大々的に流行り始める手前で、東京の方に出たのはこれが一番最後となっている。22日から23日にかけて僕にしては珍しくオールで飲んでた日で、起きたのは昼過ぎとか。正直、あまり記憶がなく最後の姿を覚えていない。これが最後になるとは思っていなかったから。

 

 先週、母から彼が「危ない」という連絡を受けた。何も食べなくなり、動かなくなってしまったらしい。病院で診てもらったところ、腎臓がすでにダメになっていたらしい。こればかりはどうしようもないことで、すなわち老衰のひとつになるのだろう。薬と点滴で命を延ばすことはできたらしいが、両親は最低限のことをしてもらい、後は家で過ごさせてあげることに決めたらしい。週明けの退院が決まっていたので、彼の容態を自分もずっと気にしていた。

 容態は急に悪化したらしい。27日の朝から調子が悪くなり、父が迎えに行った時には、すでに弱っていたと聞いた。家について、大好きな座布団の上に彼を横にしてあげると何も言わず、静かに彼は逝ったらしい。

 

 「らしい」としか言えないことが、どうしようもなく悔しく、最後に側にいてやれなかったことが無念でしょうがない。「別れ」が来ることは分かっていたし、覚悟もできていたがやはり受け入れることはなかなか難しい。

 訃報を受ける前に観ていた映画の一節が、胸に突き刺さっている。「思い出すのはその日ではなく、そのひとときだ」。彼は「思いを馳せる」存在から「思い出される」存在になってしまった。そのひとときを大切にしながら生きていこうと思う。彼が確かに存在したことは自分が亡くなるまでは証明し続けられるのだから。

 

 

 

 

 

 

「醒めないまま 音が止まり 針は進む

行かないと ここにいても 夜明けは見えない

少しずつ小さくなる あかりを背に

ゆらめいて 日が登れば また会えるかな」

 

 

 

 

2020/7/28