<今、人、思考>:「愛する」を巡る思考の軌跡

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 「愛していると好きの違いって何?」と以前に聞かれたことがある。その時、頭をよぎったのは、シモーヌ・ヴェイユの「同じ言葉(例えば夫が妻に言う「愛しているよ」)でも、言い方によって、陳腐なセリフにも、特別な意味をもった言葉にもなりうる。その言い方は、何気なく発した言葉が人間存在のどれくらい深い領域から出てきたかによって決まる。そして驚くべき合致によって、その言葉はそれを聞く者の同じ領域に届く。」という見事な表現である。こんなこと言うわけにもいかないので「好きである以上に、信頼しているということじゃん」と答えた気がする。

 自分がその時に答えたことは、今考えるとやっぱりその場しのぎの言葉だった気がするし、その場しのぎの言葉でしか答えられないという人間的深みのなさを感じる。「愛している」という言葉に対して無責任だったと言えるかもしれない。ある事象に対して責任を持つとは、そのものについてある程度の知識・理解があり、そのものについて聞かれた時に自身のもつ数ある知見を自分の主観的な見解と照らし合わせ、再統合し、相手にわかりやすく伝えられることだと思う。自分がその差異に対してまともに自分の見解を示さなかったことは言葉に対しての無責任さと愛に対しての無責任さを露呈することになってしまった。

 しかし、ここまで考えて自分にも疑問が浮かんでしまった。では、果たして「愛している」と「好き」の差異、「愛している」ということを明確に説明できる人が世の中にどれだけいるだろうか。冒頭の疑問文にどれだけの人が「ああ、それはね、こういうことだよ」と話し始められるだろうか。さらに言ってしまえば、どれだけの人が「愛する」ということに関して真面目に考えているだろうか。「愛している」と言うことは簡単でも「愛する」ということに関して「自分は明確な意見持っています」と言える人は少ないのではないだろうか。それは、例えば愛というものが何か自然発生的な、偶発的な事象と考えられていることに由来しないだろうか。それは、説明できない性質を兼ね備えていて、それについて学んだり、考えたりすることには意味がないと考えてはいないだろうか。愛の前段階として「恋に落ちる」という言葉があるが、その言葉はどこか恋とか愛を偶発的で運命的なものである表現しているように感じる。なぜなら人間は陥穽に自ら落ちないからである。人は偶発的にしか落ちない。もし自ら落ちたのであればそれは「落ちる」ではなく「飛び込む」である。

 このことについて悶々と考えていた時、ある本に出会った。エーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本である。考えさせられる見解も沢山ある一方で、どうしても納得いかないというところもあった。一つ言えるのは、それらの見解の一致・不一致を再検討することによって自分にとっての「愛」すなわち「愛している」とどういうことかを具体的に考えられるようになったことである。今回は、フロムの見解と幾多の概念を参照しながら、「愛している」ということの自分なりの見解を言語化してみようと思う。

 

1、愛は技術か

 フロムは一貫して「愛するとは技術である」という立場に立つ。すなわち愛は習得するものであると考え、学び考える必要のある能力だと前提するのである。彼は、多くの人がこうした見解を持たないこと、すなわち愛をひとつの快感もしくは「運が良ければ落ちるもの」だと考えがちであるのには理由があると言う。彼はその理由を三つに分けている。

 一つ目は、多くの人が、愛の問題を愛する能力の問題ではなく、愛される能力の問題として考えていることである。確かに世の中には、そうしたキャッチコピーを貼り付けた商品が沢山ある。「彼に愛されるためには」とか「上司に気に入られるには」とか「いいねを沢山もらうには」とか。そうした商品は売れるから存在する。そう人々は「愛される」ことには無関心ではないのである。しかし、てんで「愛する」ということに関してはなぜか探求しようとしない。

 そうなる理由は、愛の問題は対象の問題で、能力の問題ではないと考えているからである。これが2つ目の理由である。歴史的に、自由な恋愛は最近になって登場したものである。自発的で個人的な体験としての自由な恋愛という概念は、能力よりも対象の重要性を上げる。すなわち「どのように愛するか」ではなく「誰を愛するか」ということばかり考えられるようになっているということである。

 三つ目は、「恋に落ちる」という最初の体験を「愛」の中に留まっている状態とを混同しているということだ。人はしばしば愛の強さの証拠を、恋に落ちた時の状態に見出そうとする(例えば、「一目惚れでした」といってうまく関係を保っているカップルを見ると、私たちはそこに注目しがちで、一目惚れ以後に二人が関係を良いものにしようと努力し続けているから関係が良好なのかもしれないという考えに至りづらい。すなわち、運命的な出会いだからなんとでもなると思いがちである)。しかし、よく考えてみればお互いが強く惹きつけられるとは、それまで二人が長い孤独にいたことを示しているかもしれない。

 フロムは「愛ほど大きな希望と期待から始まり、決まって失敗に終わる活動はない」と述べる。ならどうすればいいか。愛を技術・能力と捉え、考え学ぶしかないと彼は考えるのである。フロムは、技術の習得の過程として、理論に精通すること、習練に励むこと、そして最も重要なこととして、技術の習得が自分にとって最大の関心事にならなければいけないことだと述べている。章立てもおおよそその区分に分けられている。僕が深く検討したいのは、愛の理論についてである。以下はその検討と見解である。

 

2、愛の理論

 フロムは、愛に関する理論もまずは、人間の理論、人間の実存についての理論から始めなければいけないと述べる。人間は自分自身を知っている生命であり、人間は絶えず意識もしている。人はひとりの孤立した存在であり、人生も短い。そして、ひとりの人としての人間存在は自然や社会といった力の前では無力である。こうしたこと全てのために、人間の統一のない孤立した生活は耐え難い牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、人と接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう。

 人間が生まれた時から持っている「孤立している」という存在への意識から不安が生まれる。この不安は、ある種の欲求と呼べるものである。すなわち、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。

 フロムは、現代西洋社会において孤立感を克服する一般的な方法を二つあげている。一つは、集団への同調である(ここでは、現代の消費社会や民主主義に対する痛烈な批判が要領よく述べられている。主題から議論が逸れてしまうので割愛するが、興味のある人は実際に読んでみることをお勧めする。フロムの著書以外で、こうした議論をちゃんと学びたい人には、有斐閣が出している「ここから始める政治理論」をまず読んでみてほしい)。同調で得られる一体感は強烈でも激烈でもなく、穏やかで惰性的なものだ。したがって、孤立からくる不安を癒すには不十分なのだ。フロムは、現代西洋社会にみられる諸問題、すなわちアルコール中毒や麻薬耽溺、強迫的なセックスが、孤立からの不安を払拭しきれないが上にその反動で現れているものと捉える。

 またフロムは、集団への同調に加えて、現代人の生活が仕事にしろ娯楽にしろ、型にはまったものになってしまっていることを指摘し、一体感を得る方法として創造的活動に従事することをあげる。確かに、現代人の生活は型通りだと言われてもしょうがないかもしれない。出勤する必要があるのか吟味もせず、毎日満員電車に揺られ、会社についてやることといえば、昨日の延長であり、同じことの繰り返しである。組織全体の構造があらかじめ決められており、決められた仕事を、決められた速度でこなす。極め付けは、人間関係の構築の仕方まで提案されている始末である。仕事ほど極端ではないにしろ、娯楽もまた提案されたものを受け取るかたちになりがちだ。このような社会生活の中で、自分が人間であること、唯一無二の個人であること、たった一度だけ生きるチャンスを与えられたということ、希望もあれば失望もあり、悲しみや恐れ、愛への憧れや、無と孤立の恐怖もあること、を忘れすにいることができるだろうか。

 創造的活動は、創造する人間に素材との一体感を与える。素材は想像する人間の外にある世界の象徴となるからである。そうした意味で、外界との一体感を得ることはできるが、それはあくまでもその活動が、生産的な活動であり、自身が責任を持って取組み、自らでその帰結をみるような仕事のみである。しかし、現代の社会で、労働者がそのような仕事に従事できる機会はなかなか巡ってこない。

 フロムは、生産的活動で得られる一体感は、人間同士の一体感ではなく、集団への同調は偽りの一体感に過ぎないと述べる。完全な答えは、人間同士の一体化、他社との融合、すなわち愛にあると述べる。

 自分以外の人間と結合したいという欲望は、人間の最も強い欲望である。この根源的な欲望が人間の進化を支えてきたといっていいかもしれない。

 ただ、フロムは人間同士の結合の達成を「愛」と呼ぶと、大変面倒なことになると述べる。なぜなら、結合の方法には、様々なかたちがあり、その数だけ愛のかたちも多様だからである。だから、私たちは、以下のことを念頭においておかなければいけない。「愛」といった時、どういった種類の結合のことを言っているのかを私たちが了解するということである。それが、実在に対する成熟した答えとしての「愛」について述べているのか。それとも共棲的結合とで呼びうるような未成熟な「愛」について述べているのか。

 議論の順序からするなら、ここで共棲的結合と呼ばれる未成熟な「愛」のかたちについて述べてから、成熟した「愛」のかたちについて述べるのが妥当だと思われるが、現時点で相当の文字数になっている上に、まだ書きたいことが沢山あるため、未成熟な「愛」のかたちについては割愛させてもらう。

 さて、それではフロムの言うところの成熟した「愛」とはどういうものなのか。彼は、その愛を「自分の全体性と個性を保ったままでの結合であり、人間の中にある能動的な力」だと述べている。さらに引用するなら愛は「人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人を結びつける力である」と彼は述べる。

 さらに彼は、愛を人間の一つの「活動」として捉えることに関して議論を進めていく。彼によれば、愛を「活動」とみなして考えるのには注意する必要がある。なぜなら、現代において「活動」とは言葉の意味が曖昧だからである。現代の用法では、活動とはしばしば、エネルギーを費やして、現在の状況に変化をあたえるような行為を指す。しかし、活動的である評価される種々の出来事(事業に取り組むこと、スポーツに興じること等)に共通しているのは、達成すべき目標が外側にあるということだ。活動の動機が考慮に入っていない。強い不安や孤独感から仕事に打ち込む人もいれば、野心から仕事に打ち込む人もいる。どちらの人も、情熱の奴隷になっている。彼らの活動は、能動的に見えているが、実は駆り立てられているのであり、受動的なのだ。

 一方で、静かに座り、自己と向き合い、世界との一体感以外の目的を持たずに内省する人は、外見的には何もしていないので受動的に見えるが、実のところ最も高度な活動をしているとも言える。なぜなら、それは内面的な自由と独立がなければできない魂の活動だからである。

 後者の活動について、より詳しい検討をするため、彼はそこで17世紀の哲学者スピノザの考えを紹介している。スピノザは、感情を能動的な感情と受動的な感情、「行動」と「情熱」に分けた。能動的な感情を行使する時、人はより自由であり、自分の感情の主人であるが、受動的な感情を行使する時、人は駆り立てられ、動機の僕となる。スピノザは、徳と力は同じ一つのものであるという結論に達する。そこから、フロムは「愛は行動であり、人間的な力の実践であって、自由でなければ実践できず、強制の結果としては決して実践されえない」という結論を導いている。愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。その中に「落ちる」ものではない。自ら踏み込み、何よりも与えることであり、もらうことではない、というのが彼の概ねの主張である。

 

3、理論と愛に関する検討

 彼の成熟した「愛」に関する主張をまとめるとこうなる。自分の全体性と独立を保ちながらの結合であり、それは人間の能動的な力の実践である。愛は何よりも与えるものでなければならず、もらうものではない。この主張から、二つの部分に着眼点を置いて議論を展開してみたいと思う。一つは、フロムが愛に関して述べる時、その姿勢・態度を態の問題として捉えていることである。もう一つは、愛の能動的な実践を「与える」という行為で考えている点である。

 まず、態の問題から考えてみよう。彼の主張では、愛とは人間の能動的な力の実践である。スピノザの見解からも、わかるように受動的な感情を行使している状態は、動機の僕になっているという点において、また意志の介在がないという点で、自身の力を実践しているとは言いづらい。それは、愛とは言いづらいだろう。しかし、もう一度よく考えてみよう。能動的な力を行使する時、私たちは必ずしも、意志のみの力によって力を行使しているだろうか。以前、別の記事でも書いたが、意志というもの自体も実際は、様々な外部要因からの影響を受けて内に生まれるものである。必ずしも、過去の要因から切断された絶対的な意志というものは存在しない。そう考えた時、愛の実践とは必ずしも能動的な力「のみ」の実践とは言えない。というよりも、能動的と受動的で分けて考えることに無理がある。人間は、通常「意志」と呼ばれる力と外部要因の両方の影響を受けながら、力を行使している。絶対的に自由な力の行使は存在しない。では、フロムが述べている能動的な力の行使はどう再定義するべきだろうか。それは、人間の力の行使において「意志」と呼ばれているものに強く影響を受けながら、私たちが力を行使するということである。逆に受動的な力の行使とは、「意志」の力が弱まり、外部要因に強い影響を受けながら、私たちが力を行使するということである。

 なぜ、態の問題を取り上げ、フロムの主張を再定義したのか。その理由は、二つ目に検討する「与える」という行為に大きく関与するものだからだ。フロムは、能動的な力の実践が愛だと述べた後、愛は何よりも「与える」ことだと述べ、「もらう」ことではないと述べる。ここでの「与える」とは現代資本主義が前提とする「交換」とは別物である。「交換」は、相手に対価を要求する。「与える」ことの前提に同等の対価を「もらう」ということが含まれている。フロムが述べるところの「与える」とは「贈与」という言葉に置き換えることが可能だろう。「贈与」は見返りを要求しない。

 「贈与」という言葉で与えるということを考える時に気をつけなければいけないことは、それが、「偽善」や「自己犠牲」になっていはいけないということだ。相手の見返りを計算してはいけないし、何の負い目もなく「贈与」の成り手になっていはいけない。哲学者の近内悠太は、有名な映画「Pay it Forward」のトレバー少年を題材に、プレヒストリー無き「贈与」が必ず失敗に終わることを示唆している。「与える=贈与」が何らかの負い目に対する返却でなければいけないとすれば、その「負い目」とは何か。愛の問題で考える時、僕はそれを「愛されている」という感覚だと言いたい。私たちが、愛の実践として「与える=贈与」を行う時、そこには相手に「愛されている」という感覚、これまで誰かに「愛されてきた」という感覚が介在している。この感覚こそが軸となって、愛は「与える」という能動的な実践になる。

 ここで、初めてフロムの定義を再定義した意味が浮き彫りになる。すなわち、愛の実践は能動的な力の行使を前面に打ち出したものであると同時に、その行為の実践の軸にはある種受動的とも言える負い目「愛されている」という感覚が介在する行為であるということである。人を愛するとは、確立した自己のうちで能動的な力の行使「与える」をするということである。ただ、人は何の負い目もなく「与える」ことはできない、そこには「愛されている」という強固な感覚がなければいけない。上記の意味で、僕はフロムとは異なる主張をしたい。愛の実践とは、確立した自己をもつ人間が、「愛されている」という確かな感覚を軸に、人間の能動的な力の行使として「贈与」を実践することだ。

 

あとがき

 長い。何でこんな長ったらしくなってしまったんだ。自分の文章力に磨きをかけなければいけないと書き終わった後で猛省しています。「愛について突然語り始めるなんて、どうしたのお前?」という疑問に対してはお答えできません。理由は、それなりにあるのですがコンテンツ化したくないので語ることは一切しません。

 こうやって真剣に「愛する」ということについて考えてみると、今まで見えていなかったものが見えてきます。「愛する」ということを技術と捉えて学ぶとは、フロムが著書の冒頭で主張することですが、僕はその点に関しては彼の意見に共感できます。「愛は、感情的なもので説明出来ないこともある」、そうした主張は間違いではないと思うし、愛には言語化したり理論化できない部分があるのも当然でしょう。例えば「愛がなんだ」という映画は、そうした感情を丁寧に映画いた作品です。ただ、だからと言って感情だけに任せて愛が続くとは思えない。やはり、そこには、愛する二人が、関係を保つために意識的に実践している努力が必ずあると思うのです。

 現代社会は、自由恋愛が主流となり、愛の発露や対象ばかりが話題になります。勿論、それも恋愛における一つの醍醐味であるとは思います。しかし、もっと「愛する」ということそのものについて考えを巡らせてもいいのではないかと、僕はそう思います。

 

 

 

〈今、人、思考〉:「脆弱さ」の先に燻る光明

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※↑最近ハマっているyonawoのジャケットを拝借しました。(記事の内容とはなんの関連性もありません。)

 

「毎日が描いたような月並みなら幸せだけど」と「僕らなら」という曲でラブサマちゃんは歌う。今、僕はありきたりな日常が、五ヶ月前のあの日常が恋しくてたまらない。

 

 武漢での流行から始まった新型コロナウイルスは瞬く間に世界中へと拡散していった。誰がこんなことを予測できただろうか。一月にニュースを見たときには、新型インフルエンザやエボラ出血熱のような局所的な感染で終わるだろうと思っていた。多くの人が、このウイルスの猛威を遠い場所での出来事として捉えていたはずだ。「私には関係ない」と。そうした楽観的な見方が甘かったということを、今は誰もが感じている。紛争や災害は動的ではない。しかし、目に見えないこのウイルスは動的なもの、すなわち「人間」という乗り物に乗ってあっという間にその猛威を世界中に輸送した。月日が流れるにつれて、徐々に、時には猛烈に感染者は増え続けている。非日常が日常へと変わりつつある。恐ろしいのは忍び寄るものに影がないことだ。

 

 先月後半に定住革命から疫病と人類の関係性をまとめた記事を書いた。最近、読み返して見て「ああ、必死だったんだなあ」という何とも言えない気持ちになった。日常が刻々と変化していく矢先、何もできない自分のもどかしさにストレスを感じていた。「今はそんなことないのか」と問われれば、もちろんその答えはNOである。外出自粛で家族、友人に会えるのに会えないという辛さ。メディアから日々更新され続けるコロナウイルスのニュースにもうんざりしてきている。ウイルスが蔓延る前に、このままでは僕たちの精神の方が朽ちてしまうのではないか不安になる。ストレスは溜まる一方だ。

 

 家に篭っているとゲーム、映画観賞、読書、料理、音楽聴きながら口ずさむことぐらいしかすることがない。どうやってこの暇を潰そうかと考えるのすらかったるくなって、ただゴロゴロしてみたり、ただゴロゴロしている。パスカルも「人間のあらゆる不幸はたった一つのことから来ているという事実を発見してしまった。人は部屋の中にじっとしたままではいられないということだ」と言っている。

 

 まあ、なんやかんや言ってもネガティヴでなままでいることも、しんどいので感染症について調べてみたり、好きな哲学に救いを求めてアカデミックな文章に目を通してみたり、自分なりのストレス解消に勤しんでいる。ペスト流行時に、ニュートンは故郷でニートをしていた。その日々の中で、微積分法や万有引力の基礎概念を発見した。僕は残念ながら彼のような不世出の天才ではないので、ぼんやりとした日々から途方もない概念を生み出すことなどできない。しかし、日々の過ごし方として「創造的休暇」というのはちょっとかっこいいなと思ってしまう。だからまあ、拙くても文章を紡いでみようと思ったわけである。今回は、そんな「創造的休暇」満喫中の僕が読んだ文章の中から最も感銘を受けた藤原辰史さんの記事を紹介しつつ、自分が今考えていることをまとめてみたいと思う。

 

藤原辰史「パンデミックを生きる指針」を読んで

 

 環境史、農業史を専門としている藤原辰史さんがB面の岩波新書に寄稿した文章。要約するところなどなく、余すことなく全ての文章に目を通す「べき」とも言える。人文系の底力を感じたというか、今の時代にこそこうした教養の深さ、先見の明が必要であると実感した。要点を絞ることは難しいのだが、ポイントを三つに絞ってまとめてみたいと思う。

 

⑴事態を冷徹に考える必要性

 これは、恐らく多くの人に当てはまると思うし、自分もそうなのだが、人はしばしば輪郭のはっきりとした危機よりも、遠くのぼやけた希望にすがりがちである。「ワクチンは一年後、遅くても二年後には完成し、実用化に至る可能性がある」「事態は来年までには、終息するから来夏までにはオリンピックを実施する予定」。どれも根拠が不確かな、そしてはっきり言ってしまえば現実味のない文言である。世間にはそうした文言が溢れ、メディアは日々そうした情報を更新している。そして、そうした希望的観測に一喜一憂してしまうのが、残念ながら人間という生き物の性なのである。こうした文言の源泉は裏付けのある事実などではない。人間の願望だ。「こうであってほしい」という思いが、知らない間に根拠のない希望的観測として反映され垂れ流れてしまうのだ。

 歴史を省みても、こうしたことは毎回起きている。あらゆる危機に際して、メディアや為政者は安易な希望論や道徳論、精神論を述べ人々の判断能力を鈍らせてきた。「戦争はクリスマスまでには終わる」と100年前も同じことを人間は言っていたわけである。

 だからこそ、僕たちは冷徹に事態を捉える必要があるわけである。確かに、事実に向き合うのは辛い。毎日更新され続ける感染者や死者の数字、とても冷静に考えたとは言えないような行政執行者の政策等、暗いニュースは多い。しかし、そうした事実に向き合い、考えることを辞めない姿勢が、今の私たちには求められている。「諦めたら、試合終了だよ」と安西先生が言うように今「考えることを辞めたら、試合終了」なのである。

 

⑵緊急事態宣言について

 コロナウイルスが社会に浸透するにつれ、多くの人が政府に対して早く緊急事態宣言を出し、事態を治めるように求めた。

 冷静な人ならこれがどれだけ異常なことかよくわかっているはずである。コロナ禍で人の判断能力が鈍っている一例と言えるかもしれない。

 批評家の東浩紀さんが「AERA」の巻頭エッセイで、こうした問題について述べている。

 緊急事に際して、人間を家畜のように監視する生権力(仏の哲学者フーコーの概念で、人間を家畜のように捉える権力)がまかり通っていると東さんは述べている。生権力は、政治的に中立な態度をとるので、その抵抗には細心の注意を払う必要があるというのが常識だった。しかし、現在の状況を見れば、そうした常識がすでに吹き飛んでいるのは明らかである。感染拡大防止という「絶対善」を建前に、常時では考えられないようなプライバシーの侵害が起きている。コロナ禍の恐怖の中で、人々は自由や人権についての議論を放棄しつつある。

 非常時なので仕方ないというのも当然ある。その点に際して、東さんは問題が二つあると述べている。一つは、この非常時はいつ終わるのかわからないということだ。緊急事態がが終わらなければ、当然僕たちへの監視は続く。それは一体いつになるのか。二つ目は、コロナ以後、すなわちポスト・コロナの社会のヴィジョンが語られていないことだ。このウイルスは人類を滅ぼすほど強力なウイルスというわけではない。多くの人は、この先も生き続ける。だからこそ、僕たちはこの先を考えなければいけない。マスコミは、命か経済と選択を迫る記事が多い。しかし、真の選択は現在の恐怖と未来の社会の間にある。

 東さんが考えるように、僕たちはこの事態を真剣に考える必要がある。なぜなら、「構成員に情報を隠すことなく提示し、異論に対して寛容で、きちんと後世に文書を残し、歴史を尊重し、自分の過ちを部下におしつけたり少数意見を弾圧しない、研究教育予算に税金をしっかり当てることのできるリーダーがいる」政府が緊急事態宣言を出したわけではないからである。

 為政者がこの手の宣言を国民の生命の保護という目的を超えて、利用した例は世界史に溢れている。藤原さんは「どれほどの愚鈍さを身につければ、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に受け止めることができるだろうか」と述べている。

 

⑶歴史の中の感染症から何を学ぶか

 過去にも人類は数多の感染症に苦しめられてきた。ペストや天然痘SARSエボラ出血熱など、時代を問わず僕たちの傍には常に感染症の影が付き纏っている。藤原さんは、感染症の歴史の中でも、特にスペイン風邪は今回のコロナ禍を考える上で参考になると述べている。

 スペイン風邪は、百年前のパンデミックアメリカを震源とするインフルエンザだ。1918年から1920年までの間に三度の流行を繰り返し、少なくとも4800万人、多くて一億人の人々が亡くなった。これほどの人が亡くなったのには、戦時中に伴う情報統制や衛生環境の悪さがあるだろう。また、このパンデミックでのウイルスの運び屋が兵士であったのに対し、今回のパンデミックの大きな要因はオーバーツーリズムによる人の移動だと考えられるように、異なる点もある。共通点は、どちらも世界規模で、どちらも初動に失敗し、どちらもデマがとび、著名人が多数死んだことなどだろうか。

 藤原さんは、スペイン風邪から得られる教訓を8項目に分けている。以下の通りである。

 

①感染は一回で終わらない。

②体調が悪いときに無理しない。

③医療事業者に対してのケアを忘れない。

④情報の開示を行う。

⑤歴史的な検証を行う。

⑥政府も民衆も感情によって理性を失う可能性を忘れない。

医療崩壊のみならず清掃崩壊を起こさないようにする。

⑧行政執行者の感染によって、行政手続きが疎かにならないようにする。

 

 個人的には⑧が、大事であると自分は思っている。行政執行者が感染に倒れた場合、船頭を失った政府が冷静な判断を下せるとは考えづらい。スペイン風邪が流行った当時、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は四カ国対談の最中に発熱で倒れた。彼が病院に入院している間に会議の流れが変わり、ドイツへの懲罰的なヴェルサイユ条約の方向性が決まってしまった。その後、歴史がどのように動いたかは歴史の教科書を見れば一目瞭然である。

 

 スペイン風邪からの教訓の他にも、感染症史から学べることはある。例えば、大きなパンデミックの後には、社会やそれまで機能していた制度が大きく変化するということである。ペストの大流行を経験したヨーロッパは、そのご大きく変化した。労働力の減少が賃金の上昇につながり、農民の流動化に伴い荘園制度が崩壊した。教会の権威は失墜し、国家という体制が人々の意識に芽生え始める。人材の払底によって既存の制度では登用されなかった人材が登用されるようになった。結果として、新しい思想や価値観をもとに社会の枠組みが構想されるようになった。

 東さんが、先の社会のヴィジョンを考える必要があると述べいてたことに繋がるが、歴史が示唆するように今後僕たちの社会は大きな変革を迫られることになるだろう。

 

今、何が最も重要なのか

 

 ここまで藤原さんの文章の要点を探りながら、今考える必要があることについて書いてきた。もう随分と書いたので、この辺りでまとめに入りたいと思う。

 すなわち、現在のコロナ禍に際して、僕たちは何を最も大切にしなければいけないだろうか。人それぞれの答えがあるのは、もっともであるが、僕なりの答えを提示しておきたい。それは「思考を止めたり、放棄しないこと」。これが、いくつかの記事や本を読んで僕が導いた結論である。

 あまりにも簡潔で当たり前のことかもしれない。しかし、僕は感じるのである。この非常時に際して、事実と向き合わずに逃避しようとしているもう一人の自分を。ゲームの世界に身を沈め、不快なニュースはミュートする。そんな自分が確かにいる。希望的な観測に期待を抱いてしまう醜い弱い存在。だからこそ思うのである、苦しくても、辛くても、悲しくても、向き合って明日を考えなければいけない。

 最近、B面の岩波新書が更新され根本美作子さんの記事が新たに加わった。彼女はピエール・パシェというフランスの作家を研究している方である。記事の中で、根本さんはピエール・パシェの「個人というものの重みを損なうことなく、個人個人がみな同じたんなる一人の人にすぎない」という思想軸の点から、想像力を鍛え上げる必要があると述べている。すなわち、一人一人が、首相、介護士、学生、父親であったりする以前に、新型のコロナウイルスに感染する一人の人間にすぎないということを実感するところから始めなければいけないと。物理的な距離はしばしば、精神的な遠近を生んでしまう。コロナ禍で、あらゆる差別が浮き彫りになっているのがその一例だと言える。アジア系への偏見、医療従事者やその家族に対しての差別的視線、そのいずれもが想像力と思考の欠如によって起きていることは明白だ。僕たちは、僕たちが遠さや近さに関わらず一人の「脆弱」な存在であることを思考のスタート地点に据え置きながら、考え続けなければいけない。

 「健康と病気は、生物学的、文化的資源をもつ人間の集団が、生存に際し、環境にいかに適応したかという有効性の尺度である」。これは「病気」に関するリーバンスの定義である。これによれば、病気とは、人が周囲の環境に適応できていない状況のことである。僕たちはまだこの「非常」に適応できていない。病気にかかっている。この病を治すには、不断に変化する状況の変化を冷静に観察しながら、思考を止めないことが大切だ。想像力と思考の深さ・広がりの先にこそ光明があると、僕はそう思うのである。

 

参考文献

山本太郎感染症と文明ー共生への道』岩波新書、2011年

www.iwanamishinsho80.com

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1ヶ月ぶりぐらいの更新になるのだろうか。久しぶりだ。想像も出来なかった事態になっている。新型コロナウイルスである。

 感染による直接の被害も甚大なものとなりつつあるが、経済にも深刻な打撃を与えている。アメリカではこのままだと失業者の数が30年代の世界恐慌時の水準に達するとされている。インドでは政府の外出禁止によって、出稼ぎ労働者が職を失い遠い故郷まで歩く列ができているとも聞く。明らかに異常な事態である。

 

 感染症の流行と聞くと筆者が一番最初に思い出すのは、2014年に西アフリカで流行ったエボラ出血熱だ。今回のコロナウイルスはエボラほど致死率は高くないが、潜伏期間が長かったり、空気感染するため、エボラよりも人に移りやすい。そのせいかここまで大規模な混乱を世界に巻き起こしている。現実世界で映画のような事態が起こっていると実感があまりわかないが確かにこれは現実なのである。

 

 まあなんとなく察しはつくだろうが、今回はそういう内容の記事である。歴史学を学んだ史学徒として今回のような歴史に残るであろう事態に言及せずにはいられない。

 ひとつの事象を分析するにはあらゆる角度から攻めなければいけない。関連の記事をこの後いくつか出すつもりだが、今回はとりあえず人類と疫病の戦いはいつから始まったのかついて「定住革命」というひとつの仮説をもとに考えてみたい。キーワードは、遊動生活、定住生活である。

 


人類と遊動生活

 遊動生活とは動物の生きるための基本戦略である。それは、もちろん私たち人類においてもそうだった。私たちは生まれた時からある特定の場所に住み、特定の社会集団に属している。しかし、このような定住化が始まったのはたった1万年前なのである。人類はおよそ400万年から700万年前に出現したと言われている。人類は、最近まで遊動生活をしていたのである。

 


 「遊動生活」にはある種の偏見が付き纏う。文明的でないとか、食糧生産ための技術を持っていないだとか。すなわち、「定住化したくても、できなかったから遊動生活をしていた」というようなイメージがないだろうか。しかし、それは定住中心主義に囚われている。よく考えてほしい。私たちの祖先は「定住したい」と強く願っていただろうか。もしそうだとしたら、なぜ何百万年も遊動生活を続けていたのだろうか。そして、長い年月をかけて築き上げてきた生活様式をあっさりと捨てて定住化をするだろうか。これだけ長い間、遊動生活を続けていれば人間の身体的・精神的な能力はそれに適するものにまでなっていたはずである。考えれば考えるほど疑問がわく。

 そこでこう考えてみるのはどうだろうか。人類は実は定住化など望んでいなかった。それは求めるものではなく、強いられたものだったと考えることはできないだろうか。

 


 人類の定住化は食糧生産と結びつけて考えられることが多い。従来の人類史では、遊動生活から食糧生産の技術を獲得し、定住生活が確立されると考えられていた。定住化のキーポイントは食生産と深く結びついているものと考えられていた。だから、アイヌなどの定住生活をしながらも食生産を行わない民族・集団は例外的だと考えられていた。

 しかし、このような事例は決して例外的なものだと考えるべきではない。なぜなら、日本の縄文文化も定住生活をしながら、食糧生産技術を持っていなかったからである。

 私たちは、定住生活の開始における食生産技術の発達に焦点を絞りすぎている。縄文文化アイヌの事例が示すように、定住の開始において食生産技術の獲得は必須の条件ではなかったのだ。

 


 私たちの社会は、定住化が進んでしまっているからあまり考えることもないかもしれないが、遊動生活は食糧に困る心配があまりない。ある場所で食料資源が枯渇すれば、別の場所へと移動すればいいだけだからである。逆に、食糧生産は極めて不安定だと言える。農耕は気候に左右され、なかなか安定的な量を毎回獲得することは難しい。作物を育てるのには時間もかかるし、それなりの技術が必要である。

 


 考えれば考えるほど、自らの意思で定住生活をし始めようとしたとは考えにくくなる。遊動生活を捨てて、定住生活・食糧生産を始めたのにはそれなりの理由があったはずだ。

 


1万年前、中緯度帯

 人類は、1万年前に欧州やアフリカ、アジアなど各地の中緯度帯で定住生活を始めた。足並みを揃えてこの時期に定住化が始まったのには当然理由がある。

 

 人類が熱帯を出て中緯度帯に進出したのは、五十万年前だと考えられている。当時の中緯度帯は寒冷な気候で、草原や疎林が広がる環境であった。視界が開けており、大型の有蹄類なども生息していたため、狩りが盛んに行われていた。

 しかし、1万年前に氷河期が終わりを告げ、環境が温暖になると中緯度帯の環境も大きく変わった。大型の有蹄類は姿を消し、鹿などの中型の動物が増える。森が広がり、視界は以前よりも狭くなり、見通しも悪くなった。要は、氷河期の大型動物の狩猟中心の生活が困難になったのである。

 それに従って、食料の依存先は自然と植物性のものと魚類に向かうことになった。しかし、これらの食料資源は季節によって獲得できる量が大きく変動する不安定な食料資源である。そうすると必然的に食糧を貯蔵する必要性が出てくる。そう、もうお分かりだろう。貯蔵は移動を妨げる。ここに定住化が促された原因の一つがある。

 


 人類の定住化に関しては、様々な議論がある。漁具の登場が大きく関わっているとされるものもあるし、定住生活の多くが水辺の近辺で始まっているのも気になる。これ以上議論を広げると収集がつかなくなりそうので、ここまでの議論を一度まとめておこう。

 


 人類は、一万年前に中緯度帯において長く慣れ親しんできた遊動生活を捨てて、定住生活を始める。その理由は、気候変動による環境の変化、それに伴う生活様式の転換にあると考えられる。

 定住化の過程は、人類に新しい課題を突きつけた。親しみのある遊動生活で獲得した肉体的・精神的能力は新しい生活様式に合わせて編成し直さなければいけなかった。これが「定住革命」と言われる所以である。確かに、定住化以後の変化の数々は数百万年に起こった変化に比べて急激かつ大きいものばかりである。農耕・牧畜の開始、人口の増加、文明・国家の誕生、産業革命・情報革命に至るまで、現在の私たちを形成するものの多くが定住生活開始以後に生まれた。

 


疫病感染のリスク増大

 ここまで、人類の定住化までの軌跡を「定住革命」論として考えてきた。感のいい人はすでに勘付いているだろう。定住生活という様式、そしてそれを基本軸として据えた社会は疫病感染のリスクが非常に高い。

 人が生活をすれば排泄物なり生活ゴミなり環境を汚染するものが出る。遊動生活の場合は常に移動しているため過度の汚染はないが、定住生活の場合環境はすぐに悪化する。

 そこで、人類は初めて掃除とトイレの習慣を獲得することになる(余談だが、トイレやゴミ捨ての習慣は私たちがまだ遊動生活の精神から抜け切れていないことを証明してくれる。私たちは子供の頃から決まった場所で排泄をすることができない。なぜならそれは本能ではないからだ。ゴミに関して言えば、ゴミ捨てが苦手だったり、ポイ捨てを平気でする人が多勢いる。これも同様に、人間の本能としてゴミを決まった場所に捨てるという考えはないからである。いずれも、定住生活を成り立たせる習慣であり、それは後天的に獲得されるものだ。だから、ある意味人類は二度定住革命を経験していると言える。一回目は種として、二回目は個人としてである)。

 排泄する場所を固定するということは、排泄する場所を共有することに等しい。故に、汗・排泄物・血液などを通して人に感染する疫病にかかるリスクは上がる。また、掃除する習慣は汚染物に触れる機会が増えることから疫病への感染リスクをあげる。

 他にも、農耕・牧畜等によって家畜に接触する機会が増えれば動物由来の感染症にかかるリスクは増える。

 だから、やはりこう言っていいだろう。人類の感染症との戦いは定住生活の開始と共に始まったのだと。

羊文学「人間だった」の解釈を本気で考える

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先日、羊文学が最新アルバム「ざわめき」をリリースした。前年のアルバム「きらめき」から約半年ぶりのリリースとなった本作。前作アルバムの楽曲ロマンスは羊文学のサウンドからやや離れた趣きがあったため、今作でまた挑戦的な曲が入ってくるのかと思っていたのだが、挑戦という感じはない。むしろ自らのサウンドや歌詞の個性をより私たちに印象づける作品になっていると私は感じる。より羊文学らしい曲を楽しめる。

 


今回取り上げる「人間だった」という楽曲はポストヒューマン以後の「人間」を主題としている。Youtubeの動画、メロディラインともに最初から最後まで駆け抜けるような気持ち良さがある。先ずは、歌詞を参照してみよう。

 

 

 

 


きこえるかい 命の声が

 


きこえるかい  きこえるかい

 

 

 

きこえるかい 大地の歌

 


きこえるかい きこえるかい

 

 

 

ぼくたちはかつて人間だったのに

 


いつからかわすれてしまった

 

 

 

ああ いま 飛べ 飛べないなら

 


神さまじゃないと思い出してよ

 

 

 

街灯の街並み 燃える原子炉

 


どこにいてもつながれる心

 


東京の天気は 晴れ 晴れ 雨

 


操作されている

 


デザインされた都市

 


デザインされる子供

 

 

 

もっと便利に もっと自由に

 


なにを得て なにを失ってきたのだろう

 


怖いものはない 怖いものはないのかい

 


忘れないで 自然は一瞬で全てをぶち壊すよ

 

 

 

本当はわかっている 君もわかっている

 


花の一生にとって 君は必要ないこと

 

 

 

わたしは知っている そしてただ見ている

 


人間が神になろうとして 落ちる

 

 

 

ぼくたちはかつて人間だったのに

 


いつからか忘れてしまった

 

 

 

ああ いま 飛べ 飛べないなら

 


神さまじゃないと思い出して

 

 

 

ああ いま 行け 走って行け

 


風を切る奇跡 思い出してよ

 

 

 

神さまじゃない

 

 

 

「人間」とは

 


最初にポストヒューマン以後の「人間」を主題としていると書いたが、ではここでの人間とはどういう意味だろうか。

 


大枠を得るために、吉川浩満さんの『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』を紐解いてみよう。

 


ポストヒューマン期、それ以後の「人間」を知るためには、そもそもそれ以前、すなわち近代的な学問が知の枠組みとして扱っていた「人間」を理解する必要がある。

 


例えば、フーコーは『言葉と物』の中で近代の幕開けとともに「人間」という知の枠組みが誕生し、それが同時に諸学問において中心的な役割を果たしてきたと述べている。

 


「人間」は特殊な役割をもっている。それは、あらゆる学問を可能にするものでありながら、その研究の対象でもあるという両義的なものである。

 


近代の諸学問では、経験に先立つ理想像としての人間が想定されていた。啓蒙主義の理念的モデルとしての人間である。合理性と主体性を備えた人間の観念は、学問研究による経験として見出されたものではなく、それを成り立たせるために前提とされていたものだったわけである。

 


一方で、人間を研究対象とした学問も次々と誕生していた。人間の超越的な理想像を前提にしながら、その人間を研究するという動きが近代という時代にはあった。

 


フーコーの『言葉と物』は「人間の終焉」を告げた書物として知られるが、その「人間」がすなわちここまで話してきた近代的な「人間」である。

 


「人間の終焉」とはすなわち、人間を対象とした研究が、その探究の前提となっている人間像を破壊する事態を指している。近年、次々と明らかになっているが、実は人間というものは不合理な生き物である。

 


フーコーの予測に加えて吉川は最近の生命科学の発展、認知革命が「人間の終焉」に繋がっていると指摘している。生命科学の分野では遺伝子操作によって人と豚のキメラ制作が試行されるなど、生物種の境界が不明瞭になりつつある。人間の不合理性を前提とした行動経済学なども、経験的な諸科学の成果を前提として発展してきた。

 


この楽曲内での「人間」がすなわち、学問分野での「人間」を指しているかは定かではないが、それまでとそれ以後の線引きをタイトルが示すように、ここで疑問を投げかけられているのは、ポストヒューマンであり、ポストヒューマン以後の人間である。

 


歌詞の「デザインされる子供」などはおそらくゲノムの操作によって両親が子供の外見を決められるようになるかもしれないという事態を指している。私自身は安易な態度表明をするつもりはないが、倫理学的整備が追いついていない状態でそうしたことが為されるべきではないと考えている。「やってしまった」では遅いからである。

 


「人新世」の観点から

 


「人新世」という概念は、人間の活動が地質にまでその痕跡を残す可能性があるという地 質学者のパウル・クルツェンによる学会での主張から盛んに議論されるようになった言葉 である。この言葉を、新しい地質年代として認めるかどうかは専門家の間でも意見が分かれている。

 


この「人新生」というワードからもこの楽曲は切り込める。例えば「人間が神になろうとして落ちる」「自然は一瞬で全てをぶち壊すよ」の部分。

 


人間の営みは地球が無ければ成り立たない。その地球を私たちは地質レヴェルに痕跡が残るまで改変しつつある。これもいわゆる前提が改変されているという倒錯的な事態だ。

 


その事態をどうとらえるかに疑問をこの曲を投げかけるわけである。好き勝手やって、コントロールできると思っているのかい。思い出してごらん、人間が災害に勝てたことがあったかい、と。

 


まとめ

 


想像以上に色んなことが考えられる楽曲でとてもいい。こういう歌詞をはっきりと歌えるところに羊文学の良さがある。

 


プラスアルファで良かったと思ったのはyoutubeの動画作品である。女性が海の見える風景をバックに身につけているものを手放して駆けていく。そこには、私たちが築き上げてきたものによって私たち自身が束縛されているのではないか、そこから自由になってもいいのではないかというメッセージがある気がしている。

 


まだまだ、今年は始まったばかりだが一推しの楽曲である。是非色んな人に聴いてほしい。

 

https://youtu.be/16jL0eThQmM

人間だった

人間だった

  • 羊文学
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

 

 

 

もう一度「愛がなんだ」について考えてみる

 

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「なぜだろう。私は未だに田中守ではない。」

 

物語の登場人物

 

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山田テルコ・・・20代後半の独身女性。この物語の主人公。友人の友人の結婚式で出会った田中守に恋をする。好きと嫌いという区分ではなく、好きとどうでもいいになってしまう。物語のなかでは守に惹きつけられ、他のことを全て放り出して守に尽くす姿が描かれている。

 

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田中守・・・テルコの好きな人。雑誌の編集者。劇中で観る限りかなり鈍感な男で、テルコの気持ちを汲み取れない。よくしてくれるテルコに甘えつつ、自分の好きなすみれさんにアタックしている。葉子的には実の父に似ているらしい。

 

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坂本葉子・・・テルコの友人。ドライそうに見えて意外と世話好き。テルコのゾッコン具合に呆れている。仲原の気持ちを知っていながら、そこにつけ込んで雑に彼を扱っている(そういう意味では彼女のしていることは守がテルコにしていることとあまり変わらない)。

 

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仲原青・・・葉子の仕事仲間。写真家。葉子に好意を抱いている。物語の後半で葉子との関係性に悩み、テルコと葉子に別れを告げようとする。

 

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すみれさん・・・守の好きな人。守に言わせれば「がさつで自由奔放」。思っていることをはっきりという。しかも割と世間的な正論が多い。

 

物語のあらすじ

 

テルコと彼女を取り巻く人々の愛のかたちを描いた物語。

 

物語の特徴

 

世の中にあるまだ名前のついていない気持ちを探る。

 

山田テル子について思うこと 

 

 この映画を観たことのある人はテル子に対してどのような印象を抱いているのだろうか。正直、ファーストインパクトは「なんだこの女」と思ってしまった人が多いのではないか。既に家に着いているのに「まだ会社にいる」と嘘をつき、夜遅くに男の家に行く。ご飯を買ってきて欲しいと頼まれただけなのに浴室の掃除まで始める。いくらなんでもやりすぎだろうというシーン。世話好きを通り越してお節介も通り越しそうな勢いである。ただ、物語が進むにつれて自然とテル子の気持ちに共感できることも増えてくる。それは、単純に守の態度や接し方をテル子側から感じとり、そこから生まれてくる苛立ちなどに共感しているということのみに尽きない。なぜなら物語中盤で彼女自身も自分自身を突き動かしている感情がなんなのかと悩んでいることに私たちが気が付くからだと思う。

 

テル子と守について

 

 この二人の関係性が物語の主軸であることに違いない。ひたすら想いを寄せる彼女に対して守がそこにつけ込んでいるという印象だ。前半では彼女のゾッコンぶりが描かれているが後半はどちらかというと、彼女自身の守に対する執着心への悩み、「愛とは何か」というこの映画の主題が描かれる。

 二人の関係性を見ているとテル子の惚れっぷりが目立つ一方で守のテル子に対する接し方も悪い意味で目立つ。他人の感情に鈍感というか、「なんでそこでそういうこと言うかな」みたいシーンが多い。ずるいのは、そういう自分の態度の鈍感さに全く気がついていなくて飄々としているところだ。なかなか憎めない。

 

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テル子の悩みと主題

 

 この映画の主題は「愛とは何か」だと上記で語ったが、メッセージはまた別のものであると私は考えている。それはタイトルの通り、まさしく「愛がなんだ」という問題提起である。

 主題に関しては映画を観てから誰もが自分の人生経験に照らして考えるだろう。「あの時好きだったあの人のことを私は本当に愛していたか」「人を愛するという経験が今まであっただろうか」。自分自身の愛の定義・経験について思いを巡らせるだろう。その時、劇中でテル子が仲原に対して放った言葉がふと蘇る。

 

「愛がなんだってんだよ」

 

 これがこの映画のメッセージである。このセリフは葉子との関係性に悩んだ仲原が「葉子のことを好きでいることをやめる」と宣言した際の対話の中でテル子が放った言葉である。

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 仲原とテル子はある意味似た境遇にいる者同士である。お互い強烈に好意をもつ相手がいながらその関係性に悩む者同士。後半、揺れ動く関係性の中で先に芯が折れたのが仲原だった。愛というものがわからなくなって、耐えきれなくなってしまったわけである。

 テル子は表面上仲原のことが理解できないというようなことを言っているが仲原の気持ちを痛いほどわかっている。なぜなら自分も同じだからだ。

 だからこそ、この対話のシーンでのこの一言は決断の一言であったと思う。愛なんてもので自分の感情は語れないし、語らない。なぜなら、この執着がなんなのか自分にもわからないし、そこに定義や正論なんてものは存在しない。だからこそ自分の感情を「愛」という定義に落とし込んで諦めの理由に結びつけることはしない。私は仲原とは違う道へ行く。そういった決断だ。

 このシーンは見応えがあったし、非常に訴えかけてくるものが多かった。世の中にはまだ名前のついてない気持ち・感情が無数に存在するということを高らかに肯定してくる。

 

フレーミング

 

 上記で自身の感情を「愛」という定義に落とし込んだ仲原について述べたが、これは誰しもがやっていることだ。辞書で定義されているように完璧じゃなくても誰もがものや感情に対して、自分の中の定義と照らし合わせてそれを縁取りアウトプットしている。そうでもしなきゃ私たちは考えることができないし、何も語れない。

 ただ、だからといって何でもかんでも縁取れるかというとそれはやはり違うだろう。私の「怒っている」はあなたの「怒っている」とかなり差があるかも知れない。

 あなたは「愛」を縁取ってアウトプットできるだろうか。それとも語れないものとして、自分自身にしか理解できないものとしてテル子のように進むか。

 

ざっくりとした感想

 

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 まあ正直めっちゃ良かった。キャストも素晴らしいメンバーだったと思う。田中守は原作だと本当にただの冴えない男として描かれているが、成田凌さんが演じるとイケメンだけど鈍感すぎるという新しいキャラクターになっていた。追いケチャップは最強。岸井ゆきのさんの演技には脱帽である。絶妙な表情の演じ方が際立っていたと思う。後、岸井さんのインタビュー記事で「テル子の何もかも捨てて向かっていく熱量が羨ましい」という言葉には共感できた。天才とかって多分こういう熱量を持つ人だと思う。深川麻衣さんは今作で初めて出会った女優さん。元々、乃木坂46にいたことも今回初めて知った。葉子のドライな性格とあどけない一面を上手に演じているなと思った。

 で、私が一番感動したのは若葉竜也さん。仲原という絶妙で難しい役柄を見事に演じ切っていた。後輩が「邦画は今まで仲原のようなポジションを描かなかった」といっていたがまさしくその通りだと思う。映画内で私が一番好感を持てたのは仲原だったが、若葉さんの演技あってのことだと思う。

 一度このブログで「愛がなんだ」については書いていたが、どうしても納得できなくてお蔵入りにしていた。今回の記事はその後に何度も見直して、自分がこの映画から感じとったものをまとめた最新のものである。お蔵入りの記事は永久にお蔵入りだと思う。少し恥ずかしいことも書いていたので。

 是非、この映画は観てみてほしい。ぼんやりとしたものかもしれないが、何か感じるものを得られるはずである。

 

メモに保存されていた断片的な日記

#1

 

朝井リョウのエッセイ集「風と共にゆとりぬ」に「待ち遠しい夏」という短編エッセイがある。どういうエッセイか簡単にまとめると「子供の頃に比べて待ち遠しいものが減った」というものだ。

 


朝井は社会人になって初めて8月に祝日が存在しないことに気づいたと言っている。学生時代は夏休みとして必ず休みだったからである。また、待ち遠しいものだった夏休みは、いつしか「どのタイミングで消化するか」という消化されるものになってしまったとも言っている。「社会人の性だよなぁ」と読みながらぼやいてしまった。

 

 

 

「大人になって待ち遠しいものが減りましたか?」と聞かれたとき、あなたは何と答えるだろうか。僕の実感としては減ったんじゃないかぁという気がする。というより、大人になってから待ち遠しいと感じるものが変わったような気がする。

 


何でも待ち遠しいと思っていた子供の頃に比べて、そう思えるものが限定されてきてしまった。休日、夜ご飯、友人との会食。ルーティーンになってしまった生活と忙しさの中でいつしか待ち遠しいものが減ってきた。もちろん待ち遠しさはあるのだけど、子供の頃のキラキラした待ち遠しさとはやっぱり何か違う。色褪せて擦り切れたような待ち遠しさ。

 


もうすぐ夏がやってくる。学生の頃は夏が好きだった。たっぷり休めるし、イベントはたくさんあるし、何よりもビールは美味しいし。夏の青い空とくっきりとした白い雲をベランダから眺めながら「今日はどこに行こうかな、明日は誰と会おうかな、やーめた、クーラーのきいた部屋で昼寝しよー」は最高すぎる。これが40日も続くのだから待ち遠しくないわけがない。

 


さて、社会人になった今、もうすぐやってくる夏に対して僕は臨戦態勢である。いかんせん僕の職業は体力勝負なのだ。仕込み室はタンクの熱で恐ろしいぐらい暑いし、外の仕事はカンカン照りの中で着々と進められる。そんでもって夏休みはまあ数日というところである。野球部時代に逆戻りである。夏の雰囲気は変わらず好きでも、もう今までのように夏を迎え入れることはできない。受け止めるという感じだ。かかって来いや、夏!

 

 

 

待ち遠しさが減ったなと感じる一方で、やっぱりそう思えるものがあるって大事なことだと思う。それはある種の希望なのだから。大好きなアーティストのライブに行くこと、唸るぐらい美味しいものを食べに行くこと、大切な人と過ごすこと。待ち遠しいものがあるから、僕たちは今日も明日も、その先も頑張って行こうと思える。日々の忙しさの中に大きくなくてもいい、小さな希望をもって、ひたむきに頑張ることは、当たり前のようなことだけれどとても美しい、と思う。

 

 

 

 

 

 

ああ〜、早く夏終わってくれ。チェルミコのライブが待ち遠しい。

 

 

#2

 

「眠りにつく」と「死ぬ」は似ているな、と思ったことがある。深い眠りに入っている時、私は私を感じない。ベッドに横たわり、天井の染みを眺めていたある瞬間から、目を覚まして枕の匂いを感じるまで。何も覚えていない。だとしたら死ぬのってめっちゃ怖くないか。始点と終点があるからそれ以前とかを覚えているわけで、目覚めなかったらもうおしまい。存在が消える。だからやっぱり世界ってのは自分の意識にしか存在しないんだよ。周りの人も友人も大好きな恋人も自分の思考世界の一部にすぎない。だけれどそうやって悲観にくれたところで何も変わらないわけで、残念なことに日々は続いていくし、老いていくし、死に近づいていくわけである。憎たらしいなぁ、畜生。

 

#3

 

 


今日、久しぶりに幸せな夢をみた。中学校の友人Aとの夢である。

 


状況は定かではないけど僕とAはバスの座席に隣り合って座っていた。

 


そうするとAがふいに料理の話をし始めるのだ。

 


「最後に黒胡椒をふりかけると美味しいの」

 


「なんだか酒のつまみみたいだね」

 


「そうかな?でもお酒飲むよ、仕事終わりとか」

 


「え、意外!晩酌とかしなさそうなのに」

 


驚くほど会話の内容に中身はない。しばらく他愛のない話をしたところでAはバスから降りていった。そこで夢は終わった。

 


久しぶりにAのことを思い出した。Aとは小中学校ずっとクラスが一緒だった。9年の付き合いである。普段は人を殺すような目で人を見ている女の子である。前に「何してるの」と聞いたら「人間観察」という答えが返ってきた。そんなAだが、笑う時にはとても柔らかい笑顔で笑う女の子だった。

 


この夢のバスの隣り合いはおそらく林間学校の時の記憶が影響している。たまたま班が同じでバスの座席が隣りだったのだ。なんてことない記憶なのに。引き金はどこにあるかわからないものだ。

 


最近は全く会わなくなってしまった。最後に会ったのは成人式の時。「二次会行かんの?」「うん、遠慮しとく」というやりとりをしただけだ。

 


今彼女はどこで何をしているのだろうか。今も昔と変わらず人間観察しているのだろうか。

 


久しぶりにAに連絡したら「私、お酒ほとんど飲まないよ笑」という返信が返ってきた。

 


誰かとの記憶と混在しているのかもしれない。

 

#4

 

風呂場でシャワーを浴びながら「なんで俺はものを考えられるんだろう」て思った。

 


この「思った」ていうのを表現するのめちゃくちゃ難しいんだよな。俺は俺以外になったことないから、他の人がどうだか知らんけど、考えたりする時に自分は頭の中に声がしている。例えば「りんご食べたい」とか「ちょっえ?」とか。他の人はどうなんだ。文字が脳内に浮かんでくる人とかいるのか。

 


言語を介さないやり方でものを考えることができるかやってみたけどきつい。イメージだけでものを考えようとしてみたけど、簡単なことはイメージできても複雑なことがイメージできない。

 


「思えない」て状況を表現するのは難しいけど、言語を持たない生物はある種主観的に生きていることになるわけだ。

 


というか、言語があるから自分を客観視して捉えられる視点が存在するわけで、だからこそ自分との対話とかいう謎めいたことが起きるんだわな。

 


アーレントが孤独と孤立の違いをどっかで書いていた気がする。人は時より孤独になって内省する必要がある、自己との対話。人は周りに人がいても寂しくなる時がある、孤立。これらのキーはやはり言語獲得による主観的客観視なんだろうな。

 

 

#5

 

いつ頃からか忘れてしまったけど、僕は「自分らしさ」という言葉が嫌いになった。

 


「自分らしく生きる」とか「自分らしさを大事に」とか、何を言ってんだいという感じだ。

 


枠に収まりましょう、そういうこと?そもそも「自分らしさ」て自分じゃわかんないし、じゃあ他人から「これがあなたらしさ」と言われてもそれはその人から見た自分の一面にすぎない。

 


自分らしい生き方なんてひどくつまらない。むしろ「自分らしさ(そういうものがあるなら)」とかをかなぐり捨てながら生きたいよね。自分が安心できる場所に浸かってんのは楽だけどさ、何も見えてこない。

 


ラッセルも言ってんだわ、「生をエンジョイできるようになったのは、自分に囚われなくなったから」だって。

 

#6

 

ものまねが好きだろうか。僕は、ものまねがとても好きだ。といっても、ものまねを「する」ではなく、「観る」ほうがだ。とんねるずが司会をしていた「細かすぎて伝わらないものまね」シリーズをYoutubeで探し、暇な時に観ていたりする。

 


ものまねとはまさしく「真似」であり、人や動物の動作・声などの特徴を掴み、表現することである。もう少し踏み込んで言えば、それはある人、ある動物を「演じること」でである。それが上手ければ、人は驚いたり、笑ったりする。では、ものまねにおける上手いとは何か。

 


僕にとっての上手いものまねは、何かただの「真似」という領域を超えているような気がするものだ。例えば、姿格好を完璧に模倣し、特徴的なセリフをその人らしく放つものまねは、それ自体とても魅力的ではある。しかし、姿格好なんか全然似てなくて、特徴的なセリフにもそこまでこだわらない。それなのに、恐ろしいほど似ていると感じるものまねもある。リアリズムを超越する「リアリティ」がそこにはある。そして、おそらく、両者を比べてどちらが上手いかと言われれば、後者を僕は押してしまう気がする。

 


これを一体どう説明すればいいか。そこで、僕が感じたのは「真似する」と「演じる」の差である。上手いものまねは、ある人や動物を「演じる」。演じ手は、写実的な面ではなく、客体の内面、すなわち魂を演じる。「真似をする」人は、私たちに現前しているが、現前していない。なぜなら、自己を忘却し、客体になりきるからだ。それに対して、「演じる」人は、自己と客体の中間を上手に表現する。それは、身体という制約の中で客体の魂を自由に表現する営みである。ある意味、それは模倣ではないし、客体に忠実な表現ではない。しかし、そこには「真似」を超えるリアリティが存在する。

 


会ったこともない人や知らない人のものまねを見せられて、妙に感動することがある。「憑依型か」というセリフは、東海オンエアのとしみつが「一人ものまねトーナメント」という動画の中で言ったものだ。これは、ものまねの確信をついている気がする。動画内でとしみつは多彩なものまねを見せる。NHKの人や水溜りボンドのトミーなど、どれも素晴らしいできだ。その中でも優勝の座をつかんだのは、地元のラーメン屋の店主サチオさんのものまねであった。もちろん、僕たちはサチオさんがどういった人物なのか知らない(コアなファンは知ってると思うが)。しかし、動画を見るとわかるのだが、誰が見てもサチオさんのモノマネが優勝するであろうことを予測できるのだ。これは、まさしくとしみつのものまねが「真似をする」の域を超えて「演じる」の域に到達していることを示すものだと思う。そこには、確かにサチオさんがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネット上の人間関係における簡単な考察」のアルバム上の一曲における簡単な考察

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たった一曲聴いただけなのにガッツリとバンドに惚れ込んでしまう。そんなことがたまにある。Chelmicoとかはその筆頭だったわけだけど、最近またそういう瞬間があった。イギリスのロックバンドThe 1975である。

 


音楽好きな職場の先輩が、今年のサマソニに行って「なんかようわからんけどめっちゃかっこよかったバンドがいた」と言っていたのがまさしくそのThe 1975だった。

 


職場から家に帰る間に一曲だけでも聴いてみようと思い、Apple Musicを立ち上げる。出てきたのはA Brief Inquiry into Online Relationshipsというやたらと長いアルバム名。「ネット上の人間関係における簡単な考察」て心理学専攻の卒論かよ、とか思いつつ収録曲を見ると何やらアルバムの最後に矛盾した曲名がある。

 


I always wanna die (sometimes)

 


「いつだって死にたい、時々」。面白い言葉遊びだなぁと思って、興味本意で再生を押した。

 


I bet you thought your life would change

But you're sat on a train again

Your memories are sceneries for things you said

But never really meant

人生は変わっていくと思っているよね?

でも、また同じ電車の席に座っている

思い出は君が言っていたもののための舞台道具だとか、でもね決してそうはならないんだ

 


You build it to a high to say goodbye

Because you're not the same as them

But your death it won't happen to you

It happens to your family and your friends

I pretend

さようならを言うために高く積み上げる

だって君は君だから

でも君の終わりは君に起こることじゃないんだ

君の家族に、友達に起こるんだ

敢えて言ってみようか

 


And I always wanna die, sometimes

I always wanna die, sometimes

いつだって死にたい、時々

死にたいんだ、時々ね

 


You win, you lose, you sing the blues

There's no point in buying concrete shoes

I'll refuse

勝って、負けて、ブルースを歌う

無駄死に意味があるか?

そんなの無理

 


And I always wanna die, sometimes

I always wanna die, sometimes

I always wanna die

 


Am I me through geography?

A face collapsed through entropy

I can hardly speak

And when I try it's nothing but a squeak

On the video

Living room for small

If you can't survive, just try

大地を通して僕は僕になったのかな?

無秩序に揉まれて崩れた顔

喋ろうと頑張るんだけど、うめき声しか出ない

動画の中で

小さいリビングで

生き抜けないなら、少し努力してみようか

 


And I always wanna die, sometimes

I always wanna die

Always wanna die

Always wanna die

Always wanna die

And I always wanna die

Always wanna die

Always wanna die, sometimes

Sometimes

Sometimes

Sometimes

I, sometimes, always wanna die

Always wanna die

Always wanna die

Always wanna die, sometime

 


もう入りから終わりまで本当に聴き入ってしまった。美しくて壮大なロックバラード。一度だけでは歌詞が聴きとれなかったので何度も聴き直す。

 


歌詞を聴きとって思ったのは決してこの曲は絶望を歌った曲ではないということ。

 


度々、詞に登場する「死」は区別されている。わかりやすいのはconcrete shoesという表現。無駄死にのような意味で解釈してみたのだが、サビの「いつも死にたい」が意味する「死」とは異なる。

 


歌詞が表現するように、書き手のマシューは無駄死にに意味はないと言っている。価値ある死を選ぶべきだと。なぜなら「死」は自分に起こることではないからだ。

 


人が死ぬのは、終わるのはいつか。肉体的な死は瞬間的なものだ。では、果たしてそれは本当の終わりなのだろうか。

 


歌詞に「死は、君じゃなく家族に、友人に訪れる」とある。これはマシューが死は残された大切な人たちに向かうもので、彼らの中で受容されるものだと考えているからである。なぜなら、死を見るのは自分ではなく彼らだからである。非常に外在的な考え方だ。

 


だとしたら、自分の一時の苦悩や葛藤から逃げるために死を選ぶことは正しいことなのか。マシューはそう考えない。価値ある死を選びたい。だからサビで美しく歌うのである。「いつも死にたい」と。

 


ただ、自分の苦しみから逃げるために死を選ぶことを否定しきらないところがマシューの優しさである。「生きづらいなら少し頑張ってみようか」とさりげなく背中を押す。なぜなら薬物中毒になりどうしようもない精神的苦悩に彼自身が直面したことがあるからだ。

 

 

 

人はどうしようもない苦悩に直面する時がある。大切な人を失ったり、社会に馴染めなかったり、マシューのように薬物中毒から抜け出せなくなったり。その時に「死にたい」と思うことはある。ただ、どのように死にたいかを選ぶことはできる。大切な人たちに「最後までかっこよかった」と思われる死か。それとも「なんで私たちは君の苦悩、悲しみを理解してあげられなかったんだ」と思わせてしまう死か。

 


僕は、内在的に物事を考えるタイプで自分が死んだその後も自分が見ていた、生きていた世界が続くなどとは思っていない。だから、こういう外在的な見方にある種否定的なのだ。けれど、結局これが真実といった真実はないわけで、内在的だろうが外在的だろうが明日はやってくるし、死は近づいてくるわけだ。だったら、悩んだり苦悩している余裕なんかない気がして。

 


全力で目の前のことに取り組んで、厳しい現実には笑顔で迎え撃つ。「来たな、厳しい現実、お前なんかボコボコにしたるわ、なぜなら俺はかっこよく死にたいんだ、お前なんかに構ってる余裕はないんだよ」と。

 


「明日死ぬかもしれないと思って今日を全力で生きたいんだ」とThe 1975ボーカルのマシューは語る。そんな、彼らが全力で作りあげた曲に感動しないわけがない。

 


だから、彼らの曲を聴いてほしい。きっと力強いメッセージを感じられるだろうから。