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1ヶ月ぶりぐらいの更新になるのだろうか。久しぶりだ。想像も出来なかった事態になっている。新型コロナウイルスである。

 感染による直接の被害も甚大なものとなりつつあるが、経済にも深刻な打撃を与えている。アメリカではこのままだと失業者の数が30年代の世界恐慌時の水準に達するとされている。インドでは政府の外出禁止によって、出稼ぎ労働者が職を失い遠い故郷まで歩く列ができているとも聞く。明らかに異常な事態である。

 

 感染症の流行と聞くと筆者が一番最初に思い出すのは、2014年に西アフリカで流行ったエボラ出血熱だ。今回のコロナウイルスはエボラほど致死率は高くないが、潜伏期間が長かったり、空気感染するため、エボラよりも人に移りやすい。そのせいかここまで大規模な混乱を世界に巻き起こしている。現実世界で映画のような事態が起こっていると実感があまりわかないが確かにこれは現実なのである。

 

 まあなんとなく察しはつくだろうが、今回はそういう内容の記事である。歴史学を学んだ史学徒として今回のような歴史に残るであろう事態に言及せずにはいられない。

 ひとつの事象を分析するにはあらゆる角度から攻めなければいけない。関連の記事をこの後いくつか出すつもりだが、今回はとりあえず人類と疫病の戦いはいつから始まったのかついて「定住革命」というひとつの仮説をもとに考えてみたい。キーワードは、遊動生活、定住生活である。

 


人類と遊動生活

 遊動生活とは動物の生きるための基本戦略である。それは、もちろん私たち人類においてもそうだった。私たちは生まれた時からある特定の場所に住み、特定の社会集団に属している。しかし、このような定住化が始まったのはたった1万年前なのである。人類はおよそ400万年から700万年前に出現したと言われている。人類は、最近まで遊動生活をしていたのである。

 


 「遊動生活」にはある種の偏見が付き纏う。文明的でないとか、食糧生産ための技術を持っていないだとか。すなわち、「定住化したくても、できなかったから遊動生活をしていた」というようなイメージがないだろうか。しかし、それは定住中心主義に囚われている。よく考えてほしい。私たちの祖先は「定住したい」と強く願っていただろうか。もしそうだとしたら、なぜ何百万年も遊動生活を続けていたのだろうか。そして、長い年月をかけて築き上げてきた生活様式をあっさりと捨てて定住化をするだろうか。これだけ長い間、遊動生活を続けていれば人間の身体的・精神的な能力はそれに適するものにまでなっていたはずである。考えれば考えるほど疑問がわく。

 そこでこう考えてみるのはどうだろうか。人類は実は定住化など望んでいなかった。それは求めるものではなく、強いられたものだったと考えることはできないだろうか。

 


 人類の定住化は食糧生産と結びつけて考えられることが多い。従来の人類史では、遊動生活から食糧生産の技術を獲得し、定住生活が確立されると考えられていた。定住化のキーポイントは食生産と深く結びついているものと考えられていた。だから、アイヌなどの定住生活をしながらも食生産を行わない民族・集団は例外的だと考えられていた。

 しかし、このような事例は決して例外的なものだと考えるべきではない。なぜなら、日本の縄文文化も定住生活をしながら、食糧生産技術を持っていなかったからである。

 私たちは、定住生活の開始における食生産技術の発達に焦点を絞りすぎている。縄文文化アイヌの事例が示すように、定住の開始において食生産技術の獲得は必須の条件ではなかったのだ。

 


 私たちの社会は、定住化が進んでしまっているからあまり考えることもないかもしれないが、遊動生活は食糧に困る心配があまりない。ある場所で食料資源が枯渇すれば、別の場所へと移動すればいいだけだからである。逆に、食糧生産は極めて不安定だと言える。農耕は気候に左右され、なかなか安定的な量を毎回獲得することは難しい。作物を育てるのには時間もかかるし、それなりの技術が必要である。

 


 考えれば考えるほど、自らの意思で定住生活をし始めようとしたとは考えにくくなる。遊動生活を捨てて、定住生活・食糧生産を始めたのにはそれなりの理由があったはずだ。

 


1万年前、中緯度帯

 人類は、1万年前に欧州やアフリカ、アジアなど各地の中緯度帯で定住生活を始めた。足並みを揃えてこの時期に定住化が始まったのには当然理由がある。

 

 人類が熱帯を出て中緯度帯に進出したのは、五十万年前だと考えられている。当時の中緯度帯は寒冷な気候で、草原や疎林が広がる環境であった。視界が開けており、大型の有蹄類なども生息していたため、狩りが盛んに行われていた。

 しかし、1万年前に氷河期が終わりを告げ、環境が温暖になると中緯度帯の環境も大きく変わった。大型の有蹄類は姿を消し、鹿などの中型の動物が増える。森が広がり、視界は以前よりも狭くなり、見通しも悪くなった。要は、氷河期の大型動物の狩猟中心の生活が困難になったのである。

 それに従って、食料の依存先は自然と植物性のものと魚類に向かうことになった。しかし、これらの食料資源は季節によって獲得できる量が大きく変動する不安定な食料資源である。そうすると必然的に食糧を貯蔵する必要性が出てくる。そう、もうお分かりだろう。貯蔵は移動を妨げる。ここに定住化が促された原因の一つがある。

 


 人類の定住化に関しては、様々な議論がある。漁具の登場が大きく関わっているとされるものもあるし、定住生活の多くが水辺の近辺で始まっているのも気になる。これ以上議論を広げると収集がつかなくなりそうので、ここまでの議論を一度まとめておこう。

 


 人類は、一万年前に中緯度帯において長く慣れ親しんできた遊動生活を捨てて、定住生活を始める。その理由は、気候変動による環境の変化、それに伴う生活様式の転換にあると考えられる。

 定住化の過程は、人類に新しい課題を突きつけた。親しみのある遊動生活で獲得した肉体的・精神的能力は新しい生活様式に合わせて編成し直さなければいけなかった。これが「定住革命」と言われる所以である。確かに、定住化以後の変化の数々は数百万年に起こった変化に比べて急激かつ大きいものばかりである。農耕・牧畜の開始、人口の増加、文明・国家の誕生、産業革命・情報革命に至るまで、現在の私たちを形成するものの多くが定住生活開始以後に生まれた。

 


疫病感染のリスク増大

 ここまで、人類の定住化までの軌跡を「定住革命」論として考えてきた。感のいい人はすでに勘付いているだろう。定住生活という様式、そしてそれを基本軸として据えた社会は疫病感染のリスクが非常に高い。

 人が生活をすれば排泄物なり生活ゴミなり環境を汚染するものが出る。遊動生活の場合は常に移動しているため過度の汚染はないが、定住生活の場合環境はすぐに悪化する。

 そこで、人類は初めて掃除とトイレの習慣を獲得することになる(余談だが、トイレやゴミ捨ての習慣は私たちがまだ遊動生活の精神から抜け切れていないことを証明してくれる。私たちは子供の頃から決まった場所で排泄をすることができない。なぜならそれは本能ではないからだ。ゴミに関して言えば、ゴミ捨てが苦手だったり、ポイ捨てを平気でする人が多勢いる。これも同様に、人間の本能としてゴミを決まった場所に捨てるという考えはないからである。いずれも、定住生活を成り立たせる習慣であり、それは後天的に獲得されるものだ。だから、ある意味人類は二度定住革命を経験していると言える。一回目は種として、二回目は個人としてである)。

 排泄する場所を固定するということは、排泄する場所を共有することに等しい。故に、汗・排泄物・血液などを通して人に感染する疫病にかかるリスクは上がる。また、掃除する習慣は汚染物に触れる機会が増えることから疫病への感染リスクをあげる。

 他にも、農耕・牧畜等によって家畜に接触する機会が増えれば動物由来の感染症にかかるリスクは増える。

 だから、やはりこう言っていいだろう。人類の感染症との戦いは定住生活の開始と共に始まったのだと。