対面性の欠落<第一次世界大戦の暴力について>

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はじめに

  現在、私たちは第一次世界大戦をどのように考えているだろうか。第二次世界大戦に比べるといささかその存在ぶりは影が薄くなっているというのが現状ではないだろうか。先の大戦に比べて、印象が薄い理由はいくつか挙げられる。第一に、第一次世界大戦の主戦場がヨーロッパであったことがあげられる。確かに、日本は参戦していたが、第一次世界大戦の大きな特徴である塹壕戦を日本は経験していない。また、教科書記述が大戦そのものよりも中国進出政策や大戦景気などといった記述によっているということが言える。参戦国としての当事者意識の希薄さや戦争の実感の欠如の基底にはこれらの理由をあげることができる。このような第一次世界大戦の記憶の腐敗に対応するために第一次世界大戦を見つめ直すことは非常に重要なことだと思われる。第一次世界大戦においての重要な問題はいくつかあるだろうが、ここではあまり触れられていない問題、しかしその後の世界に大きな影響を及ぼし続けている問題について考えてみたい。それは、すなわち「対面性の欠落」である。

 

対面性の欠落

 第一次世界大戦は、それまでのどの戦争よりも多くの死傷者を出した戦いであった。ジョージ・ケナンによれば、この戦争は歴史的に前例のない暴力の発動である。この戦争の後に続く様々な戦争は継続して大量の死と殺害を生み出した。第一次世界大戦破局の原点であると彼は述べる。これは大半の歴史家たちが認める1つの見解である。今回は、この見解にさらに踏み込む。なぜ、前例のない暴力が発動したのか。なぜ、残酷としか言えないレヴェルにまで人は暴力を行使したのか。その問いに対する1つの答えが、「新兵器の登場」とそれに伴う「対面性の欠落」である。最初に、戦いの歴史の中で、第一次世界大戦がどのような位置にあるのかを確認するために、決闘の歴史を参照する。決闘は、対面性が大きく作用したという意味で、大いに参照する価値のある出来事である。そして、「新兵器の登場」を受けて戦いのあり方がどのように変わったのか、「対面性の欠落」はいかに暴力を拡大させたかについて考察していく。

 

決闘の歴史

 まずは、決闘の歴史である。大浦康介によれば、決闘は優れて対面的様式である。中世以来、決闘は生死をかけた真剣勝負の場であった。私たちが参照するのは、近代以降の決闘についてである。

 近代の決闘は、「名誉の決闘」と呼ばれた。決闘の作法は「名誉コード」と呼ばれた。それは、決闘という報復手段が「高潔」なものでなければならないという考え方に起因する。その考え方・作法に基づいて「高潔さ」を維持するために、決闘には介添人がつけられた。彼らの、最大の役割は不正が無いようにフェアな闘いを保証することであった。闘いは当然、1対1の正面きっての対面様式の闘いでなければならなかった。決闘をするものは、ピストルでの闘いであっても、互いの顔が見える位置で闘うことが要求された。決闘は、対面の闘いであり、「対面性」との闘いでもあったのだ。

 決闘が担った役割にも注目したい。すなわち、「ふるまいの規範」を示すものとして機能したのだ。決闘の慣習は「名誉」の観念だけでなく「礼儀正しさ」や「丁重さ」を教えるものでもあったのだ。

 決闘は貴族階級の没落とともに、急速に時代の共感を失い衰退していく。しかしこの決闘衰退の根底に対面性に関わる人間関係の能力の低下が関わっているとは考えられないだろうか。

   決闘はなぜ衰退したのか。決闘の慣習はとりわけフランスで長く維持されていたものだが、第一次世界大戦を機に突如衰退の一途をたどる。ここでの問題はなぜ、第一次世界大戦がその決闘衰退の始まりになったかということである。

 第一次世界大戦が決闘の終止符となったと言われるのにはいくつかの理由がある。代表的なものは、未曾有の犠牲者を出したこの戦争が、私的怨恨に基づく流血は無意味でとるにたらないものであるという印象を与えたというものだ。しかし、私たちがここで注目するのは、別の視点からの考察である。すなわち、第一次世界大戦を境に戦争自体が決闘的なものではなくってしまったのではないかというものだ。

 かつての戦争は、決闘が個人の間の闘いであったのと同様に、国や地域間での「集団的な決闘」であった。決闘においても、戦争においても「cartel」と呼ばれる書状を送るのが宣戦布告を意味していた。その宣戦布告は、身分を明らかにするという行為であり、相手を対等者と認めて、フェアな戦いをするというある種のモラルを含意していた。また、戦争において「名誉の戦場」といった言葉が使われることからも、戦争と決闘の間に相互参照があることは間違いないと言える。

 戦争が決闘的なものでなくなったのは上記で述べられたような「作法」の風化だけではない。新兵器の登場や脱身体化、またそれに伴う兵法の変化にもその原因が考えられる。

 

リヒトホーフェン

 第一次世界大戦は見えない敵との戦いであった。アントワーヌ・コンパニョンはこれを「死がやみくもに襲ってくる戦争、死が空から降ってくる戦争、殺すものと殺されるものが顔を合わせることが無い戦争」と表現した。また、藤原辰史は機関銃の登場について「騎士道精神のなごりをほとんど消し去った」と述べている。藤原の述べる「騎士道精神」は「決闘精神」と言い換えても遜色はないだろう。

 第一次世界大戦において上記で述べた「騎士道精神」のなごりを最も残していたのは、戦闘機の空中戦だった。戦闘機のパイロットが「空の騎士」と呼ばれたことからもそれは示唆されていると言える。戦闘機の前身としての航空機の役割は、基本的には敵地の偵察であった。それが徐々に航空部隊の規模が拡大されるにつれて役割も増え、航空機同士の戦闘・爆撃や地上爆撃などにも使われるようになる。それに伴って航空機は、偵察機・戦闘機・爆撃機といった風に分化していった。大衆化した戦争の中で、撃墜数の多いパイロットは英雄視された。有名な「空の英雄」と言えば、やはりマンフレート・フォン・リヒトホーフェンだろう。彼は第一次世界大戦において前人未到の80機を撃墜し、敵から「レッド・バロン」として恐れられた。しかし、ここで注目したいのは彼の戦闘における姿勢である。史実に基づいて作られた映画からも彼の人柄が伝わってくる。例えば劇中で彼の指揮した飛行隊(「空飛ぶサーカス」と呼ばれた)に空中戦での戦い方に関して次のように語る。

 

「撃墜が目的であり、殺すのは目的ではない。だから落ちていく相手を撃ってはいけない。我々はスポーツマンであり、虐殺者ではない。情けを持って戦うべきだ」

 

 彼はその活躍から軍人としては最高の名誉であるプール・ル・メリット勲章をヴィルヘルム2世から授与されている。

 このように、「騎士道精神」はかすかに残っていたと言える。しかし、地上戦の悲惨さを目の前にすると「決闘的精神」の欠落、所謂「対面性」の低下は明らかだった。毒ガスに対抗するためのガスマスクの着用、戦車の登場、塹壕戦。あらゆる場面でそれまで人間が大切にしてきた「対面性」は消えていった。空中戦のような「対面性」が保たれた戦場があったことは事実だが、それに勝る勢いで戦場から「対面性」が無くなっていったのも事実なのだ。

 

終わりに

 物理的な距離と心理的な距離、そしてその間に生まれる「対面性」は新兵器によって、そしてそれに伴う「騎士道精神」の崩壊によって没落した。藤原はこの戦争から使われた兵器を「遠隔的暴力」と呼び、それは敵を殺害したという実感から免れることができる暴力だと述べた。これらの暴力はそれ以後あらゆる形で表出し続け、現在にまでいたる。ホロコーストや原爆、湾岸戦争、そしてイラク戦争など様々な場面で「遠隔的暴力」は使われた。これらはまさに「対面無き暴力」に他ならない。対面性の無い空間では人がいとも簡単に虐殺をする。近年、無人機を操縦するアメリカ兵がゲーム感覚で空爆を行っている映像が流出し問題となった。彼らの行為はまさしく「対面性」の無い空間で生じた出来事である。そして、第一次世界大戦はその空間が最初に表出したという点にいて私たちにとって重大な戦争であったとは言えないだろうか。現代にまで続く暴力の連鎖を考える上で私たちに新たな視点を与えてくれるのではないか。

 

参考文献・資料

・木村靖二『第一次世界大戦ちくま新書、2014年

・大浦康介『対面的<見つめ合い>の人間学筑摩書房、2016年

ニコライ・ミュラーション監督『レッド・バロン』(配給:ブロードメディア・スタジオ、2008年)

・『新・映像の世紀 第1集:第一次世界大戦・百年の悲劇はここから始まった』NHK日本放送協会)、2015年10月25日放送