「」エッセイ②

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#1

 雨が建物を打つパラパラという音としずくの滴るポタッという音が白熱電球で照らされた淡い空間に響く。午前0時を過ぎたリビングルームで冷たいリンゴジュースを飲む。斜め前の棚からブタの貯金箱が寂しげな目線を向けている。小学生の時、夏休みの課題で作ったスイカパンツのブタ貯金箱である。少なくとも十年以上は同じ場所に鎮座している。そして立ち上がることができない。

 雨は嫌いなのに、雨の音は嫌いじゃない。たまに晴れの日に「雨の音」と題された自然の音を聴くことがある。イヤホンを耳になじませて、そっと画面をタップする。目を閉じると、雨の世界に落ちていく。

 でも、雨の音は実は雨の音ではない。正確には雨とモノが接触する時に出る音だ。雨が音を持っているわけではない。

 その音は、モノの境界を連呼する。雨はモノに「ぶつかり」、「音を鳴らす」ことでそこに確かにモノが存在していることを喚起する。それは世界には境界があり、確かなモノとモノが存在していることを美しい音で体現する。

 「接触する」「触れる」という単純な事象の先にモノは存在する。というよりも、あらゆる認識の元には必ず「接触」がある。聴覚なら空気の振動が耳に「触れる」。視覚なら「光の反射」が目に「触れる」。愛なら相手の思いが私の琴線に「触れる」。

 

 

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#2

 夕方になると、ランニングシューズを履いて街に走り出していく。起伏の多い道を一時間ほど好きな音楽を聴きながらゆっくりと走る。

 自分はたいてい夕方しか走らない。この時間帯を選んで走る理由は二つある。一つは、家の匂いを嗅ぎたいからである。匂いフェチの変態かと言われれば、そうとも言えるかもしれない。

 夕方の街は、匂いに溢れている。風呂場から漏れ出るシャンプーの匂い、晩ご飯の匂い、洗濯機から出る洗剤の匂い。色んな匂いが、家々を走りぬけるたびに嗅覚に捕らえられにくる。その度に「ああ、ここのウチはカレーか」とか「これはアタック」とか「ああ、この匂い友達にいる~」とかやっている。

 二つ目は、家の明かりを見たいから。これも捉え方によっては空き巣の目線っぽく誤解を招きそうだ。昼間は家を見ても、人が住んでいるのかわからない。住居なんだから住んでるに決まっているというのは早急すぎると思う。でも、夕方になって窓に明かりが灯り始める時、そこには人の存在を感じる。確かに人がそこで生活をしていることが感じられる。

 二つの理由は、実は根本的に言い換えると一つの理由となる。夕方には人の生活がある。だから、僕は夕方に走りに出る。家から漏れ出る匂いを感じ、境が見えにくくなった家に灯る明かりを見る。そして、そこに知らない誰かの知らない人生が進行しているのを見る。あの家にも、向こうの家にも人は確かにいて、帰宅し薄暗いへやに明かりを灯したり、くだらないことを話したり、カレーを食べたり、メリットのシャンプーで髪を洗っていたりする。

 当たり前の日々が当たり前に続いていると、いつしかその当たり前がどれだけ当たり前に大切なのかを忘れてしまう気がする。だから、夕方の街に繰り出し誰かが当たり前に生活をしているのを見て「ああ、今日も当たり前が当たり前に営まれているな」と実感しにいく。当然だと思っていることは簡単に覆される。日常は簡単に崩れる。「当然」という堅固なイメージを持つ言葉は実は砂上の楼閣にすぎない。だから、当たり前は忘れないようにすることが大切なのだ。と信じている。

 ぼやけ始める視界の先に、もっとも当たり前が浮かび上がるという不思議な時間帯。「黄昏に生きる」。いや「黄昏に走る」。

 

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#3

 オーストラリア中部の原住民は、楕円形に加工された石や木(そうでない場合もあるらしい)に象徴記号を彫る。出来上がったものは「チューリンガ」と呼ばれる。チューリンガはある特定の祖先一人を象徴するもので、その祖先の生まれ変わりとされる部族の人間に授けられる。チューリンガはよく使われる近隣の通り道にある岩陰などに隠され、度々取り出されては色を塗り直したり、再加工される。チューリンガを通して人は、祖先、自我、そして子孫へと再現する同じ人間としての個我を越えたアイデンティティを所有する。レヴィ=ストロースはチューリンガを「物的に現在化された過去」と言った。同地域の原住民にとって景観(自然)は展開されたチューリンガとして「物的に現在化された過去」であり、歴史を越えたアイデンティティの基盤をなしている。

 社会学の泰斗、真木悠介は「時間の比較社会学」の中で原住民の世界把握に関して「「対象的」世界は主体の存立そのものの契機として感覚される」と述べている。例えば、アメリカ原住民に対して白人が行った解体の歴史の中で、原住民は略奪や虐殺よりも、自然の破壊や土地の追放に対して深い怒りと絶望を示したという事実がある。彼らにとっては、土地=自然こそが全ての過去を現在化しており、彼らの存在に恒常性をもたせ保証していたのだ。土地=自然を破壊することは、過去の破壊かつ解体であり、過去によって存立していた現在をも解体し無に帰らせることだったに違いない。

 この話を聞いて真っ先に思い出されたのが「涙の旅路」である。1830年の「強制移住法」によって後にオクラホマ州となる場所に設けられた居留地アメリカ先住民のチェロキー族が強制的に移動させられた。教科書的な説明では「涙の旅路」の由来は移住時の病気や事故で多くの犠牲者がでたことからとされている。実際、高校時代に世界史の授業で勉強した時は名称に対して違和感があった。教科書の説明が名称の由来だとするならいささか「大袈裟」な気がしたからだ。確かに強制移動という事実やその途上で多くの命が失われたことは悲しい事実だし、移動の強制を行った移住民(「白人」で括っていいのか怪しいので)たちの行為は許されるべきではない。ただ、あくまでも「移動」である。居留地があり、そこで生活することができる。この時代やそれ以前の時代にこの土地で移住民が行った愚行の数々と比べるとまだ寛容に見える。これが、高校生時代に僕が「涙の旅路」という名称に対して違和感だ。

 教科書の説明を引っ叩いてもしょうがない気がするが、教科書の説明は強制移動という事実が如何なる意味で「涙の旅路」なのかを説明しきれていない。なぜなら、由来を強制移動が引き起こした事象に向けているからである。それらの事象は確かに悲惨なものだったかもしれない。しかし、焦点の絞りどころはそこではない。原住民の世界把握、すなわち土地=自然を介しての「物的に現在化された過去」やそれらを通じた現在・過去に対する共時的感覚の先に宿る自我から「涙の旅路」という事象を考えるなら、その名称の由来が強制移動という事象そのものに由来することがわかる。チェロキー族にとって強制移動(土地の破壊・解体・追放)は何よりも、過去の解体であり、過去を存立の基盤とする現在、そして自我の解体だったのだ。その事実が、彼らにとっては最も深い絶望だったはずである。それは、物理的な死を追い越してやってきた精神の死に近いものだったのではないかと思う。そう考えたとき「涙の旅路」という名称とその由来に関する違和感は崩れていった。

 

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#4

 最近、僕にあった人は気づいているかもしれないが僕は左手の薬指にFの文字が大きく入ったリングをつけている。別に婚約指輪じゃない。

 この指輪、実は自分で気に入って買ったものではなく、もらったものでもない。別のアクセサリーをオンラインで購入したら、なぜか袋に混入していたのだ。間違いなく誤配である。ただ、悪くはないデザインだし、リングなど所有してなかったので気分でつけることにした。薬指に着けていることに意味があるかというとこれにも大きな意味はない。一番薬指がフィットするからというだけだ。左についているのは、自分の利き手が右で、何かしらの動作に伴って使う右手につけていると邪魔だからという理由に過ぎない。

 という感じで、なんの気もなしにつけていたリングだが、つけ始めてからある程度が経ち、自然と愛着が湧いてきた。こういうものは意外と多い気がする。学生の頃使ってた通学鞄とか最もではなかろうか。3年間使い切り、いざ処分するとなると少し悲しかったりする。そこには様々な思い出が意図せず刻まれているからだ(僕の学生鞄はもうほんとボロボロだった。というのも当時置き勉が嫌いで、時間割の教科書を全て学生鞄にぶち込んで登下校をしていたからである。当然のごとく鞄はパンパンのパンで、それを見た父に「セメントでも詰めてるのか」と言われたのは良い思い出(?)である)。

 愛着が生まれてくると何かしら意味を持たせたくなる。そこで僕は自分なりにこのリングを身につける意味を勝手に作ってみようと思ったのだ。

 まず、リングに大きく刻まれるFの意味だ。これは「自由(free)」を意味する。そうすると、こう思うのではないか。「自由を意味するとして、それを何かと結び付けるということは自由が拘束されていることを意味しているように見える」と。最もだ。自由のイニシャルをリングに埋め込み身につけるとは、ある種自由に制約を課している象徴に見えなくもない。ただ、自由とは元々制約ありきではなかろうか。無制約の自由は本当に自由だろうか。例えば、殺人は制約のない自由の実現として正当化されるだろうか。正当化されないだろう。なぜなら、それは他人の自由を侵害しているからだ。それは自由ではなく、欲望の奴隷である。社会的動物である人間は、自由の無制限行使を貫いて生きることはできない。人間の生存条件は自由の無制限行使によってはなされない。それを正当化すると、条件そのものを崩しかねないからだ。自由には手綱をつけなければいけない。そして、その手綱の中で自身の力を最大限に発揮することこそが、自由の行使なのだと言えるだろう。では、その「手綱」とは何か。

 手綱は理性である。人間は理性によって欲望をコントロールし社会生活を営んでいる。理性は複雑だ。理性は利己的な純粋目的(自己複製)に向かうための自己のコントロールを司る。そこでは利己性と利他性が絡み合う。さらに言えば利他性は、純粋目的のために生得的に獲得しているもの(人類の歴史の所産)と、人間が社会的な生活を営むために後天的に獲得するものに分けられる。前者は主に無意識の領域にあり普段は表に出てこない。直感に繋がるこの利他性は制御が効かない。例えば、電車に轢かれそうなお年寄りを、身をもって助けに走る時、あなたは特別な理由(助けたら褒められる、褒賞を得られる等)を考えて助けにいくわけではないだろう(面白いのはこうした自己犠牲的行為がその根源に利己的な目的を据えながら、それが生み出した利他性によって目的を為し崩すという連関である、人間は不合理な生き物なのだ)。一方で、後者は前者に比べてスローに働く。これが普段僕らが言うところの理性である。周りの状況や人間関係を精査して考え、自身の欲望をコントロールする。

 理性の利己性と利他性の前者的特徴はあまり「手綱」としての役割を果たさないだろう、なぜなら、それは緊急事態の時にしか出てこないケアの力だからである。着目するのは、理性における利他性の後者的特徴だ。すなわち、後天的に得られる理性の一部分である。この能力が主に自由の手綱となって、自由の制限的行使を事実上可能とするわけだが、後天的に獲得するというだけあって人によって、理性の部分は異なる。すなわち経験し、学び得たものが欲望のコントロールに反映できるわけだ(このことが即時的な欲望の完全コントロールを意味するわけではない。なぜなら、生命の危機等の緊急事態に際しては上述で述べたような理性の生得的な部分が無意識に突出し行動を促すからである)。

 ここから先は、僕の完全な偏見だが、自分はこの「手綱」になり得る部分の理性を自身の「哲学」だと考えている。それは、社会的生活、そして自身の生活を整える規律権力のようなものだ。もちろん、手綱としての哲学で自分をコントロールできるなどと思っていない。しかし、自身の中に宗教で言うところの戒律のような強力な概念装置を置いておくと生きやすい気がしたのだ。そして、その戒律は自分が自由を最も行使できるように構成されているオリジナルなものとして設定される。性格や年齢の変遷によって随時、改正を加えながらつくり上げる(ここまで書いて気づいたが、僕が学術を学ぶ本当の動力源は、多分自分の哲学をつくることにあるのだろう、この文章の本旨とは関係ないが)。

 さて、リングの話に戻ろう。ここまでの話をまとめると、「自由(F)」を「リング(「手綱」として哲学)」て身につけるということだった。最後は、それを左手の薬指につけるという意味だ。強引な解釈を始めてみよう。

 ネット検索トップのリングをつける指の解説には、左手の薬指に関してはこんなことが書いてある。

 

「薬指は、創造性を象徴する指。特に左手の薬指は、昔から直接心臓につながっているとされ、命に一番近い指として神への聖なる誓いの指とされていた。」

 

 ここで注目したいのは「誓いの指」という表記だ。例えば、婚約指輪ならこれは愛への近いという言葉に変換できるだろう。上述までのリングに持たせた意味(勝手に)から解釈するならば、僕にとってそれは「自分自身を自由に導く「手綱」としての哲学への誓い」と変換される。これが、左手の薬指につける意味として考察できるとこだろうか。

 

 何を書いているんだろうか。夜のテンションとは怖いものだ(翌朝の自分)。

 

 

 

「操欲」の思想ーエピクテトスを訪ねる<「手綱」としての哲学>

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はじめに

 最近、自分の過去反復反省が過剰だということに気がついた。端的にいうと向いている方向が、めちゃくちゃ後ろ向きなのだ。こういう状態だとまず事故る。当然だ。マリオカートを後車確認視点で完走できるやつなんかいない(一部の化け物を除いて)。

  過去に目を向けながら生きることは大切だが、身体の向きまで後ろ向きになる必要はない。マリオカートが上手い人間は、後車の動きをチラ見しながら走り切る人間だ。だとして、未来に目を向けて突っ走ればいいかというと、それはそれで悩んでしまう。変化の激しい現代社会に適応していくのは至難だ。無防備に突っ走れば、それはそれで事故る。社会に適応しながらしっかりと自分の道を歩むために必要なことは、自分が歩む道を決めるための基準のようなもの、自分自身のルールである。そこで、僕はそれを「手綱」としての哲学(仮)として終生の課題とすることにした。

 この営みは、社会生活や自分自身に伴う行動の指針を考察していく完全オリジナルの哲学となる。体系的にまとめていくつもりだが、それらは常に可変的であり、社会の変化や自身の様態に伴って随時アップデートされていく。このブログへの投稿(「手綱」としての哲学が題に付される記事)は、主にその断片と体系化されたものの一部となる。


吉川浩満山本貴光『ローマの大賢人の教え その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』筑摩書房、2020年のまとめと感想をもとに考察した断片メモ。概ねのプロットは本書の順番で進行している(途中カットした部分あり)。本稿そのものは「手綱」としての哲学を考察するためのメモとして自分が書きとった断片を再構成したものである。本書の内容とそれに付随する文献の資料等は黒字表記、自身の感想や考察は赤字表記となっている。尚、本書と参考文献は末尾に付した。

 

序章

・人生どう生きるべきか(どうしたら幸せになれるか)という悩みは、古今東西尽きない悩みの種であり続ける。

・古典を読み漁る中で、著者らはエピクテトスという哲学者に出会う。

 

エピクテトス

>1900年ほど昔、帝政ローマの時代に奴隷の子として生まれ、哲学者(ストア派)になり、後に自由の身となる。(波乱万丈)。著作は残さなかったが、弟子のアリアノスが彼の言葉を後世に残した(『人生談義』)。これが後世に伝わり、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスから夏目漱石に至るまで、様々な人に影響を与えた。

エピクテトスの考え方「自分の権内と権外を適切に見極めよ」ということ。

 

プロローグ

・『人生談義』は、日常の悩みについて語られたもの。

・現代の状況からして、社会にしても個人にしても希望を抱くことが難しい社会になりつつある。そんな世の中で自己啓発の本が流行るのは当然のことかもしれない。しかし、巷の啓発書を開くとそれぞれ全く違うことが書いてあったりする。困惑に続いて何を信じればいいのかわからなくなりさらに不安が募る。

エピクテトス自己啓発の元祖(オリジネーター)のような存在。

・要所は、彼の哲学が誰にでも使える知の技法であるということ。理に基づいて考える力があるなら誰にでもできるという点。「君には一体何ができるのか?」という問いを、その人なりに考えられるようにする方法を教えてくれる。

 

人生談義』の世界、悩みのカタログ

>問い「先生、どうして私が首を斬られなければいけないのですか」

・・・ネロ帝の治世は前半は善政と呼ばれたが、後半は非常に物騒な時代になっていった(恐怖政治)。皇帝の蛮行や度重なる戦争に塗れた時代、理不尽な刑罰なども当然あったはず。その点、この問いは当時の人からすれば切実な問題だったかもしれない。

>回答「じゃあ、みんなが首を切られたらいいと思うのか?」

・・・この文は修辞疑問「君だけが首を切られなければいけない」も「みんなが首を切られたらいい」もどちらバカバカしいほど不合理な主張。言葉の真意は、そんなこと悩んでも仕方ないことだということ。他に考えるべきことがあるのでは?次章へ

 

エピクテトス哲学の根本原理(権内と権外の区別)

考えるべきこととは「権内にあるもの」と「権外にあるもの」の区別

>「権内」・・・自分でコントロールできる。

>「権外」・・・コントロールできない。

その区別が、重要な理由は積極的な理由と消極的な理由に分けられる。

消極的な理由・・・私たちの悩みはこの区別に対する混乱から生じる。自分でどうにかできることに目を向けず、どうにもできないことばかりに拘ってしまう(イライラして心が休まらない舟の乗客のたとえ)。

・消極的な理由から問答を考えるとして、もし質問者が刑場にしょっ引かれる寸前ならば、誇り高く死の運命を受け入れるしかないとエピクテトスは答えるかもしれない。しかし、質問者は教室で彼に相談している。すなわち、刑の執行までにはまだ猶予がある。それならば、「権内」と「権外」の区別についてしっかりと考えることができる。その猶予を活かして悩みに対処しなさい。という感じ。

積極的な理由・・・両者(権内、権外)を適切に区別できている状態は、人間にとって最も幸福な状態であり、私たちが目指すべき最善の状態だから。

>結論・・・時代や場所、人によって、境遇の過酷さの程度や種類は異なるが、私たちがすべきことは、自分がコントロールできることに十全に力を使い、自分ではどうにもならないことに対して思い煩わないこと。そして、この状態を目指すこと。

 

コラムの要点

エピクロス・・・エピクロスの主張はいかにして心の平安(アタラクシア)を得ることができるか。彼はこれに世界の仕組みを知ることだと答えた。(余談だが、自分はエピクロスの考えを自分の学びの力点として常に考え続けてきた。断片中にはとても美しい言葉も沢山ある。「われわれが必要とするのは、友人からの援助そのことではなくて、むしろ援助についての信なのである」という言葉は心に刻まれ続けている。)

懐疑派・・・「懐疑主義」を意味する英語の語源は、ギリシア語の「スケプシス」に由来し、元来考察を意味する。古代ギリシアの哲学者たちは、「スケプシス」を幸福に至る最重要の方途として、極めて肯定的に捉えていた。例えば、ソクラテスは問答法を用いて、自らの無知を悟らせ哲学的考察へと促す活動にその生涯を捧げた。中世哲学は、それをディアレクティカとして継承した。この方法はある立場Aに対して、それと相反する立場Bを対置し、より高次のCに至ろうとするものだ。その際に無知の自覚を貫けば、Cに対しDを対置できる。こうして過程は無限に続く。

 結論に至りえぬ「スケプシス」は幸福をもたらし得るか。この点に明確に答えたのが懐疑主義の代表的論者、「ピュロン主義」のピュロンだ。ピュロン主義は、確実な「知」への拘泥ではなく「判断保留」こそが、アタラクシアへの道だと主張した。6世紀の懐疑主義者セクストスはこれを受け、思考の全てを「現れ」の次元に留め、その現れに別の現れを対置することで、現れをそれ自体として受け入れることを主張した。その考えは、近世のデカルトなどにも影響を与え、彼の「方法的懐疑」にも反映されている。その影響をより広い幅で捉えるなら、懐疑主義は現代の精神医療や認知医療の領域に影響を与えているとされる。(個人的に思考方法に共感できる部分があるが、現代においてなんでもかんでも判断保留するのは情報過多の点からしてあまり好ましくないように思う。判断保留の思考様式をは採用するとして、何を判断保留の下に置いて考察するかが求められる。だとすればその「何を」を決定する力こそが、エピクテトスの権内・権外の考えだと言えないだろうか。)

なぜ、今、ストア派なのか?エピクテトスなのか?

・・・知識社会という現状。大量の知識・情報を浴びながら生きていかなければいけない。降りかかってくるものには不純物も多い(真偽が不明なもの多数)。そうした社会と共生していく上でストア派の考える哲学は実用的である。

 

理性を働かせよ

・人は種々の能力を持っているが、そのほとんどは「自分を考察するものではない」。例えば、「読み」「書き」の能力は技術的なものにすぎず、「何を読むか」「何を書くか」にまでは至らない。この「何を」について考える力こそ理性的能力と言える。

>理性

・・・ざっくりといえば「物事を判断する能力」(『語録』では「デュミナス・ロギケー」と書かれている)。自分自身についても考られる唯一の能力。権内・権外の区別もこの論理に支えられている。

・・・エピクテトスはこの理性的能力に基づく中で「心象の正しい使用」のみが自身の権内にあるもので、それ以外はないのだと言う。(「心象」・・・意識に浮かぶ象、印象など)

・・・「心象の正しい使用能力」とは「意欲と拒否、欲求と忌避の能力」と言える。外界だけでなく、自らの心象とも対峙しなければいけない。心に現れる激情に動揺せず、まず「吟味」し、考え抜くことが大事。

 

コラム

エピクロス派はアタラクシアへ、ストア派はアパテイアへ。

>「ある」ではなく「ない」を求める哲学。個人的には、それは人間の恒常性に向かう哲学だと考える。それは、生物の生体反応がそもそも恒常性へ向かうという物理的事実に即すものであり、極めて論理的。近代以降の身体と精神を分かつ哲学にメルロ・ポンティやドゥルーズが身体と精神を貫く哲学を構想したが、エピクロス派やストア派の哲学にもそのような傾向を見て取れる気がする。物心の二元的な区別を構想せずにいたというだけかもしれないが、その哲学は決して身体と精神を分けず、お互いを不可分とするものとして考られ、その先に宿ったものだと考えて良いと思う。また、新興の学問(認知心理学行動経済学等)が想定するファスト思考とスロー思考を兼ね備えた人間像にもこれらの哲学は近似的と言えるだろう。

 

哲学の訓練

エピクテトスは心象の現れを否定しない。現れる心象をよく吟味することが大切だと説く。そしてその吟味がそのまま哲学的なトレーニングとなる。

『語録』第3巻第2章「進歩しようとする人は何について修行せねばならないか、およびわれわれは最も大切なことを疎かにしているというついて」

心象の領域区別

1、欲望の領域・・・何かを欲望して得損なうことのないように、何かを回避しようとしてかえってそれに陥ってしまうことのないようにするための領域。

2、義務についての領域・・・秩序正しく、合意的に行動し、不注意に行動することのないようにするための領域。

3、承認についての領域・・・騙されたり、煽てられたり、そういう人間関係で失敗しないための領域。

>緊急を要するのは、第一。この領域の心象は激情を喚起するから。

第一領域と他二つの領域は、それが外界の事象から内面を律するものか、それとも内面から起こるものに対して内面から対処するかに分けることができるだろう。エピクテトスが注意喚起するように、第一領域の欲望はその多くが内面から出るものである。そして内面から滲み出るものは生理的な欲求なので生体的な重要度が高く激情を非常に喚起しやすい。「食べることしか考えられない」「眠ることしか考えられない」「エロしか考えられない」という体験は誰にでもあることだと思う。これらは放っておくと生体から危険信号が出され、それを強く求める激情となって心の内に現れる。そして、これらの激情を上手くコントロールできないと現在の社会では没落の一途を辿ることになる可能性が高い(「辿ることになる」と明記しないのは、例外は存在するし、自然本性的に考えればそれは決して没落を示すものではないと考えられるから)。

>欲望を「無欲」(仏教的)、「禁欲」(キリスト教的)なものに向かわせない。欲をコントロールする「操欲」を説く。これはトレーニング、すなわち様々にわき起こる心象に対して権内・権外の基準をあてがい、吟味を繰り返すことで実践できるようになる。

 

ストア哲学の世界

・「ストア」・・・ギリシャ語で柱廊を意味する。彼らは、アテネの柱廊で学祖ゼノンは教えを説いた。講義は公共に開かれており、授業料などももらわなかった。だからソフィストなどとは異なる。(ゼノンのエピソード、学園から出た際に、足の指を骨折してしまう。ゼノンは「いま行くところだ、どうしてそう、私を呼び立てるのか」と拳で地面を叩きながら劇のセリフを口にしながら自分で息を止めて死んでしまった。)

「自然と一致して生きる」とは(ストア派スローガンの分析)

・・・「徳に従って生きること」。自然はわれわれを徳へと導いて向かわせるから。あらゆる生き物は自分の体質に適したものを探し求める。自然は生きとし生けるものをそのようにつくった。人間には理性が授けられている。ならば、理性に従って生きることは、人間にとって自然と一致して生きるとこにつながる。そして、私たちは理性によって判断し行動する人々を「徳のある人」と呼ぶ。

 

ストア派哲学の内実

ストア哲学は三つの部分から構成される(卵の例)

・殻は論理学

・黄身は自然学

白身倫理学

これらの諸要素が一体となって働くのがストア哲学

 

>論理学(ロゴスに関わる学問)

・・・ストア派の論理学は、私たちが通常論理学と考える領域よりも広い領域にまたがるもの。例えば、認識論や意味論、文法論といった言語学の一分野のような領域も含む。ストア派における論理学は、ロゴスに関わる学問。現代の論理学が扱う思考の進め方のパターンのような「理性」に関わる問題だけではなく、それを表現する「言葉」の問題も含む(ロゴスの使い方は多岐に渡る。代表的なものは「理性」「言葉」)。

・・・上述で確認した「自然と一致して生きる」という言葉に論理学も対応している。ストア派論理学は、個別的で時間的な世界を前提に考える(抽象的な存在で考えを進めない)。世界で実際に起きる物事は、具体的な個物たちの時間的な振る舞いに他ならないと考える。この関係を認識し表現するものがロゴスとなる。その時、ロゴス(上述で確認したようにここは「言葉」「理性」の二義的な意味で考えるとわかりやすい)は自然と一致して生きるということにつながる。

 

自然学(ピュシスに関わる学問)

・・・「ピュシス」は古典ギリシア語で、起源や誕生、人や事物の本性や力、自然とその秩序や法則といった意味をもつ言葉。ストア派の自然学なら「自然」や「神」という意味をもつとして考えると良い。この二義的な意味から、考えるなら自然と神は重なり合う。「神則自然」とは17世紀の哲学者スピノザの言葉だがほぼ同義(汎神論)。神は最も知的な存在なので、ロゴスをそなえた存在だ。ここに論理学と自然学の緊密な関係性を見出せる(自然=神=ロゴスをそなえた存在)。

・・・ストア派は自然は受動的原理と能動的原理の2つの原理によって成り立つとした。受動的原理は、世界の様々なものの素材となる物質に体現される。能動的原理を体現するのは神。理性に従って、質料にかたちを与えるのは神。神の能動的原理は「プネウマ」(ここでは「息」「気息」の意味、プネウマはモノをかたちづくる生気とか精気、生命力のようなものと考えられた)によって現れ、これによってかたちを保つと考えた(※質料は無規定な物質と想定される。すなわち、自然を構成する全ての物質は、受動的原理たる質料と能動的原理たる神/理性の混合物として考えられる)。

 

倫理学

・・・ストア派倫理学はその出発点に人間の「衝動」を据える。人間が時に激情にかられ、無分別、不合理な存在でもあることを認めた上で、そこから知恵を求める。理性の役割は、その衝動をコントロールすることであり、それが人間における自然のあり方とする。エピクテトスの「操欲主義」と呼ばれるような考え方は、このストア派倫理学を正統に受け継いだものと言える。

 

まとめ(現代においてエピクテトス哲学はどう活かせるか)

 

エピクテトス哲学の不変原理

1、権内にあるものと権外にあるものの区別。

         ↓

2、権内にある唯一能力、理性の使用。

         ↓

3、論理的に考え(論理学)、正しく自然を認識し(自然学)、よく生きる(倫理学)。

 

・・・エピクテトスの時代と比べて、変わったものも沢山ある(医療、各種学問、政治体制、経済状況、自然環境等)し、変わらないもの(人間関係、人間の能力等)もある。ポイントは権内・権外の区別は時代にかかわらず、個人に拠るということだ。故に最も重要なことは、自分の権内・権外の領域を明確にすることだと考られる。まずは、自分の能力や知識、性格を十分に検討する。自分には何ができて、何ができないのか把握した後に、物事との関わり方を考えていく。もちろん、権内は自分で拡張していくことができる。領域が広がれば、そこには新しい世界の見え方があるはずだ。

 

 

参考資料

吉川浩満山本貴光古代ローマ賢人の教え その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』筑摩書房、2020年

・伊藤邦武/山内志朗/中島隆博/納富信留『世界哲学史1ー古代ー知恵から愛知へ』ちくま新書、2020年

・伊藤邦武/山内志朗/中島隆博/納富信留『世界哲学史3ー中世ー超越と普遍に向けて』ちくま新書、2020年

 

 

 

 

「TENET」の感想

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(「エリザベス・デビッキてデカイわね」と思って後で身長調べたら、190あった。クリス・ヘムズワースと同じやん。オーストラリアの人って大きい人が多いなぁと思った。)

 

 

 評判の映画「TENET」を先日観てきた。「ダークナイト」以降クリストファー・ノーランの作品は公開される度に観に行ってきた。よく言われているが、ノーランの映画は一度観ただけではよくわからない部分が多い。「わかる」「わからない」という尺度で映画を評価すると、作品そのものに何か「正しい解釈」が存在しているかのような印象を与えかねないので、一応補足するが僕が言っているのは、ストーリーを進行させている法則や構造の話である。例えば「インセプション」の中では、「夢に潜り込む」というキー行動を軸にストーリーが進行する。この行動は、作品内で独自の法則性を有しているものでもある。「夢の中では時間の進行が遅くなる」、「夢の中でさらに他人の夢に潜る」、「夢の中で死ぬと戻って来れなくなる」等の法則性が行動の構造を支える柱となり、劇中での行為が正当性を得たものとしてさらにストーリーという全体像を支える柱となる。「よくわからない」とは要はその構造や法則を理解するのがという意味だ。キーセンテンスをしっかりと聞き取って、物語の進行が理解できないとただただ壮大な画を見せられている時間になる(ノーランの映画は長いので初見でぼーっと観ていると大体こういう状態になる)。

 

 

 そして、今回の「TENET」なのだが、観る前から難しい映画だという噂は聞いていた。「理解してから観直すと面白い」とか言われるぐらいなのだから、まあそこそこ覚悟して観に行ったわけである。結論から言うと想像よりも難しくはなかった。印象としては序盤に絡まった毛糸を放り投げられて、終盤に向かうにつれて舞台裏の人が「これは絡まった毛糸なんだよ!」て言っているような感じ。要するに「いやわかってる、それはわかってる」という感覚が引き起こされたような感じである。

 

 

 物語の構造は、現在という点から過去への移動すなわち「点Cから点P」への移動を反復する構造となっている「ように見える」。重要なことは点F、すなわち未来という時制は常に否定されているということだ。通常、私たちは時間という概念を想起する時「過去・現在・未来」という時間階層を考える。しかし、未来という時制は実は存在しない。なぜなら、未来に起こる出来事の可能性は既に現在と過去に先取りされているからだ。劇中でも「未来人」の存在が囁かれるが、それはすなわち現在から遡ってきたものを示す言い方であり、特定の未来が存在することを示しているわけではない。この辺りがごちゃごちゃになっていると訳がわからなくなる。激しいカーチェイスが行われる場面では、シーン1と現在からシーン1に戻るシーン2が交錯するためシーン1から観たシーン2は未来からの飛来に見え、シーン2から観たシーン1は過去への逆行に見える。しかし、実際は時制がぶつかりあっている訳ではなく現在と現在が別の認識と運動法則によって構成されているだけだ。このシーンを理解するためのセンテンスが冒頭にある。未来からきた銃弾を女性研究員が可逆性の証明として「拾う」というシーンである。セリフを覚えてないいないのが致命的なのだが、ここで述べられていたことはある事象は見方によってどうとでも解釈できるというようなニュアンスだったように思う。それは、すなわち現在という時制がどのように構成されどのようなベクトルを持つかは見方次第であるという意味である。人が走っている映像を見てそれを「進行している」と認識するのはそれが時間のベクトルや因果関係(原因があって帰結が来る)という自明の原理と一致しているからである。逆再生した映像を「退行している」と認識するのはその原理に反発しているからだ。しかし、それは人間の認識の話であって自明だから絶対的な真理であるという訳ではない。要するに「時間が進む」「原因から帰結」は一般的に自明とされている通念であり、時間のベクトルは認識の仕方で変わるかもしれないし、「帰結から原因」も有りうるということだ(慣れ親しんだ原理を放棄して認識を覆すのは相当に難しいのでなかなかしんどいが)。

 

 

 未来時制の否定とカーチェイスシーンの構造を考えると、「ように見える」と言った意味が理解できるはずだ。要は点から点への移動ではなく、ある点から現在という時間のベクトルが逆向きになるのだ。これを可能にしているのがプルトニウム放射能を利用した回転扉のような機器である。それを通じて、時間のベクトルをコロコロ変えるのだ。構造は非常にシンプルなのだ。難しく感じるのは、構造の理解ができていないのではなくて、その構造を受け入れるOSを私たちが搭載していないためだと思う。WindowsiOSのソフトをインストールしても上手く起動しない(ある程度の互換性はあるにしても)。特定の認識、それもかなり親和性のある時間という概念の認識をリフォームし、受け入れる主体になることをこの映画は要請するのだ。個人的には、この映画の「難しさ」とはそこに尽きると思う。

 

 

 ここまで、「難しさ」の要因についてアレコレ考えてみたわけだが、謎解きはもういいかなという気分である。物語の構造や伏線について細かく分析しているブログは山ほどあるし、一回しか観てない人間が物知り顔でペラペラと語り尽くすのは正気の沙汰ではないような気がするからだ(もうそのような過ちを犯しているような気もするが)。ここからは感想とか物語に出てきた言葉からの連想なんかを書いてみる。

 

 

 率直に言うと、面白さは微妙。最もたる理由は主人公にどうも共感しづらい。物語の構造と現在性に極度に振り切っているために、主人公がどういう歴史を持って作品という舞台に立っているのかがよくわからない。過去作との比較で言えば、上述の「インセプション」の主人公は妻との関係性が徐々に明らかになり、主人公が何に苦悩しているのか、なぜ夢に潜るのかが鮮明になってくる。「インターステラー」なら宙への憧れを抱きつつも地球環境の悪化で、宇宙飛行士引退を余儀なくされた主人公が地球を救うため、愛する家族を守るために遠い星に向かう。これらの作品の主人公に共通するのは、それぞれ略歴があり映画内での行動の動機がはっきりと理解できるところだ。ところが、今作の主人公にはそれがない。名前もわからないし、映画内での行動原理も強い動機に動かされているからというよりも、任務をこなしているというだけの印象を覚える。「ヴィランの世界を逆行させて消滅させるという野望を打ち砕くため」という理由が存在しているから辛くも成り立っているが、何とも不均一ではある。ただ、万が一これが仕組まれている物だとしたらもう何も言えない。歴史とはすなわち「振り返ること」すなわち、ある点からある点を見て、認識する行為。もう気づいただろうか。この認識のあり方が映画内では否定されていることを。この映画では主人公の歴史は「順を追う」のではなく「順を下る」ことだとしたら。すなわち、主人公の行動は原因からではなく帰結から理解しなければいけないのだとしたら、、、(相棒ニールの素性が露わになる瞬間からしてその可能性は非常に高い)。と言っても帰結は遥か先の現在にあるので想像しなきゃいけないんだけどね。

 

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 最後に言葉に関して。劇中で組織の合言葉に使われている「黄昏に生きる」「宵に友なし」というホイットマンの詩。映画を観た後、ずっとどういう風に解釈すればいいか考えていた。数日経ってようやく自分なりの結論が出た。最初にわかりやすい言葉に置き換える。

 

 

「夕暮れに生きる」

 

「夜に友なし」

 

 

 そして、これを映画の構造とニールの存在から考えてみる。先ず、「夕暮れ」とは現在のことであり、生ある瞬間を指している。一方で「夜」とは死後の世界を指していると仮定する。「宵に友なし」とは死後の世界、すなわち先の現在で私たちは死を迎え、友とは離別すること意味しているとする。そしてそれは常に人間の生に付き纏う存在であり一歩間違えばという状況下で私たちは生きている。故に、私たちは常に夜の一歩手前を歩いてる存在でもある。それが「黄昏」と現在を結びつける。

 この解釈を踏まえて、ニールの存在について考えてみる。ニールは映画の終盤で判明するが、先の現在で主人公が現在に派遣した人間だった。そしてさらに先の現在から来たニールがこの現在で生きる名も無き主人公を救うために亡くなることが判明する。ここでのニールの存在はある種アンビヴァレントな含みを持っている。生きてもいるが、死んでもいる。主人公との最後の会話は印象深い。

 

 

ニール「どうやら、俺にとってはここで美しい友情が終わる」

 

 

主人公「でも、俺にとってはまだ始まりにすぎない」

 

 

 このシーンは個人的に好きなのだが、それは自分の運命に執着しないニールの人間性によるところが大きい。そして続く会話で彼は「運命は変えられないが、何もしなくていいわけではない」と述べる。彼はすなわち人間に付き纏う宵の宿命を受け入れながらも、生ある黄昏の時間にあらゆる物事に意味を与え、考え、行動することが重要だと示唆するのである。なぜなら、運命は時として美しい友情をもたらすのだから。

 

 

 時間概念を扱った作品として「メッセージ」があげられる。この映画の主人公ルイーズも来る運命を受け入れて前に進む女性だった。因果の逆転から思考することは難しいように思えるが、実はそうでもないと二つの作品を観て思った。なぜなら死は決定的だからである。生の結果はどう頑張っても死である。運命は変えられない。なぜなら生には死の可能態がしっかりと含まれている。

 

 

 「いつか必ず死ぬという変えられない運命を引き受け黄昏に生きよ」とニールは主人公に向かって言う。主人公には名前がない。何故無いのか。

 

 

 

そう、何故わざわざ無いのか。

 

 

 

 

 

長い独り言〈情報と如何に付き合うか〉

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 最近、Twitterを辞めたいと思った。「やめればええやん」というそういう話なのだが、そう思った理由がいくつかあるのとそのきっかけについて少しばかり共有できたらなと思ったので、まとめておく。

 


 まず、やめたいと思ったきっかけは池田エライザさん。唐突すぎて意味がわからないと思う。まあ、端的に言うと、コスモポリタンという雑誌でのインタビューでエライザさんの述べている言葉に色々考えさせられたからだ。

 


 「好きなものを突き詰めたい」という見出しの下に続くインタビューの内容は、彼女の私生活での変化と作品にそれがどう反映されていくのかというものだ。その記事の中間辺りで、彼女が今年の6月半ばにTwitterを辞めた理由について書かれている部分がある。

 


 彼女がTwitterを辞めた理由は主に2つだ。ひとつは、情報に対して受動的になってしまうということ。もうひとつは、「(SNSには考えの)変化の過程を想像するような余裕がない」というもの。自分が特に気になったのは後者。なぜなら、この言葉がSNSと私たちの関係性を鋭く突いている言葉だからだ。

 


 私たちが言葉を投稿する時、その言葉はリアルタイムで即共有される。その時、「言葉だけ」が共有された相手に現前する。それを見た人は、その言葉から相手の考えていることを見出し、読み解く。ただしその時、その言葉の背景がどこまで想像でき得るだろうか。どういう表情でその言葉を発しているのか、どんな境遇の中で発せられた言葉なのか、そしてそもそも本心なのか。

 


 バズっている投稿のリプ欄を見ると、現前している言葉のみに反応しその場限りの正当性を主張しているアカウントをよく見かける。「SNSなど所詮ゆるく広いつながりの中にあるものなのだからしょうがない」と言われれば確かにその通りなのかもしれない。それは否定できない。

 


 ここでもう一度エライザさんの言葉を振り返ってみよう。「思考の変化の過程を想像する余裕がない」とはすなわち上のような状況を指す。SNSに吐き出さられる言葉に対しての主張や批判はその場限りのその言葉に向けられる。そこには思考の前後のコンテクストを想像する余裕がない。その場で正当性を出すことが求められている。なぜなら、言葉の正当性を検証するだけのエビデンスを即時にかき集めれば、その言葉への批判や主張は簡単にできると「思われているから」である。

 


 現代社会は情報社会となり、あらゆるものが様々な媒体を通して記録されるようになった。昔と違って、何かを検証するためのエビデンスは集めやすくなったのだ。しかし、エビデンスを集めやすくなっても事実を見出すことは非常に難しい。なぜなら、エビデンスが持つ可能性の「含み」にはどうしても主観的な解釈が入り混じるからだ。この事実を認知している人、そしてそれを見越してものを考えることができる人がどれだけいるだろうか。社会には「エビデンスがあるからどんなことも検証可能である」という言葉だけがひとり歩きしている。

 


 ここでさらに問題となってくるのは、歴史である。エビデンスが多く集まっても結局は主観の入り混じった歴史が書かれるとは、歴史学を学んだことのある人なら誰でもわかるようなことだ。なぜなら、歴史を記述する歴史家自身が現在というやがて歴史となるものの中に包摂されつつ、そして個人の境遇という歴史を抱え持つひとりの人間だからである。

 


 ただ、この事実を一般の人間が知ったらどう思うだろうか。絶望するんじゃないだろうか。ちなみに自分は一度絶望した。義務教育の中でさもこれが事実というような語り口で、歴史は教えられる。しかし、その語りはどこまでいってもやはり編者の語りである。歴史は客観性を常に第一におきながら恣意的でもある。

 


 これを知ってしまうとものを信じられなくなる。というより、事実を求める議論が無意味に思えてくるからである。「人それぞれの解釈でいい」、だから議論しても無駄。真理は存在しない。そうなると大きな物語をつくり、連帯することが非常に難しくなる。なぜなら、その考え方は利他性の皮を被った究極の個人主義だからである。人のことを想っているのではない。人に関心がないのだ。そして他人も事実も信じない。

 


 「信じる」という言葉は、時間の含みを持つ。なぜなら現前しているものにただ「了解する」だけでなく、現前しているものの前のコンテクストに留意しつつ、後に続く文脈を意識し続けるものだからだ。だから「信じる」には時間が必要なのだ。そうエライザさんが言うような「余裕」が必要なのだ。

 


 SNS、特に言葉が主体となるTwitterにはこの「余裕」が明らかに足りていない。そして、私たちは今まさに「信じる」ことを失いつつある。溢れかえるリプ欄の主張を見れば、何が真実なのかわからなくなる。そして真実を求めようとすればするほど、真実など存在しないことがわかってしまう。それでも社会、メディアはゲリラ豪雨の如く大量の情報を浴びせかけてくる。そしてそれに疲れた私たちは、思考するのを辞めて、自分の都合の良いように解釈して言葉を紡ぎ始める。現前し続けるものを大喜利のお題のように考え始める。

 


 その結果がコロナ禍第二波に対しての人々の動きである。最初に比べて感染速度も明らかに速くなっているのに、人々は移動をやめない。自粛に対する考えもどこか「まあ、大丈夫でしょ」という雰囲気がある。人々は情報にうたれすぎてすぐに忘却してしまうのだ。万が一感染した時、大事な人を死なせてしまうかもしれないという感覚を2ヶ月前には確かに持っていたはずなのに。何も信じられないが故に自分しか信じないから。

 


 ここ最近ずっともやもやしていた。常に頭に霧が渦巻いているような感じだ。そしておそらくその原因が情報の浴びすぎ。人一倍情報の摂取には貪欲なので、あらゆるSNSを情報収集のツールとして使っていた。以前ならタイムラインに上がってくるニュースも「色んな解釈があるよね」で済むものが多かったが、最近はそうではない。正確に判断し、行動しなければ自分自身に害を被るだけでなく、他人にも迷惑をかけるという情報が多すぎる。そして、正確に判断しようとすればするほど沼にはまり、抜け出せなくなる。実際、沼にはまることは多かった。

 


 その時にであったのがエライザさんの言葉だった。そして、SNSを情報収集のツールとして使うことは自身にとってあまり良いことではないということに気づいた。彼女の言葉の前半は情報に対する「態」の話だった。「情報収集のツールとして使っていた」といえば聞こえは能動的だが現実は「情報にうたれていた」のであり、自分の態度は受動的なものだった。

 


 情報に対しては能動的に自ら動かなければいけない、尚更言葉やアートを通して表現する者はそうあるべきだ、というのがエライザさんの第一の主張。そして、情報から紡ぐ思考に対してはその前後のコンテクストを通して省みる「余裕」が必要だというのが第二の主張である。

 


 そして、上述の考えから導き出された自身の帰結は情報収集のツールとしてTwitterを使うことをやめるというものだ。タイムラインは基本見ない。書籍情報の通知とラブリーサマーちゃんの通知だけONにしてチェック、それ以外の用途には使わない。言葉の発信はブログのみにする。

 


 こんな意気込みみたいこと書いて、なんやねんという話なのだが、今一度SNSの使い方を考えてみるのもいいのではないかという問題提起の含みを持たせて書いたつもりだ。

 


  情報に飲まれて自分を失わないように。もう一度「信じる」を取り戻せるように歩んでいきたい。

 

 

 

 

 

愛猫に捧げる最初で最後の言葉

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「醒めないまま 音が止まり 針は進む

行かないと 街の波間 漂いながら」

 

 

 

 

 

 2、3ヶ月前、高校の友人と久しぶりに電話で話していた。その中で、不意に友人が「あの子亡くなったんだ」と言った。「あの子」とは、その友人や僕と一緒のクラスだった女の子である。友人は、通学バスで3年間一緒に通っていたこともあり女の子の親にも認知されていた友人でもあったので、亡くなった後連絡が入ったらしい。

 友人との通話が終わった後、なんとなくLINEの友達リストから彼女のアカウントを見に行った。ポストは2015年で止まってる。少し下に行くとアプリゲームの共有をした形跡や高校時代の話が投稿されていた。確かにそこには彼女が打ち込んだ文字があり、彼女はそこに存在していた。

 

 

 

 

 

「変わっていく景色にも 見慣れはじめた頃に

君だってきっとそう 気づいてしまうはずなんだ

特別な日にだって やがて終わりはくる」

 

 

 

 

 

 僕が高校生の時、中学校の友人と夜の道をだらだらと歩いている時があった。季節も忘れてしまったし、ほんとそのひと時、その話をしたことしか覚えていない。その友人とは部活動が同じだった。今でこそ、「運動音痴」にすら見られてしまう僕だが中学の頃までは運動お化けだった。彼と一緒に野球をやっていた。

 思い出話に花を咲かせているうちに、中学時代の部活動の話になった。キツかった練習の話とか顧問の話とかでそこそこ盛り上がり、そろそろ話も落ち着きそうだなっと思ったその時、友人が唐突に「あの先輩亡くなったんだよね」と言った。悪い冗談かと思って、友人の顔を見たがその顔は全く笑っていなかった。

 その先輩は、自分が野球部時代に最もお世話になった先輩だった。他の新入部員たちと違って部活から野球を始めた僕は人一倍下手くそだった。最初の軽い練習では、二人1組になって練習をすることが多い。下手くそなので、なかなか一緒に組んでくれる人もいないし、自分から声をかけるのも悪い気がして、最初の頃はどうしようもなく突っ立ていることが多々あった。そんな時に、いつも声をかけてくれるのがその先輩だった。中学校なんてもう何年も前に卒業しているが、その時のこと、その時の温かさは忘れたことがない。

 先輩は自殺だった。何が引き金になったのかはわからない。ただその話を聞いた時の絶望感と記憶の捻れから来る気持ち悪さは耐え難いものだった。存在していた人は、実はもう存在していない人になっていた。そのラグに浮遊する存在の無い存在とは一体なんだったのか。

 

 

 

 

「理由もなく突然に」

 

 

 

 

 先日、家でイラストを描いていた。休憩の合間にTwitterを眺めていたら、「三浦春馬」というトレンドを発見した。ドラマの宣伝かゴシップ、そのどちらかだなと思ってなんの気もなしにトレンドをタップすると、その先に繋がるはずのない言葉が続いていた。「自宅で首吊り自殺」。結びつくはずの無い言葉が並んでいると、人間は意味のわかる言葉でも混乱するのだということがわかった。

 彼がなぜ死を選んだのか。遺書が残されていたとのことだが、結局は誰にもわからない。彼が知っていたかすらわからない。不穏な何かに突き動かされるということが誰しもある。疲れている時、どうしようもなくなる時、そっと語りかけてくる声は優しくて、自らの手を引くその手は恐ろしく冷たい。

 「死は大切な人のもとへ向かう」とはThe 1975のボーカル、マシュー・ヒーリーが`I always wanna die (sometimes)`という曲で歌う詞だが、その意味がはっきりとわかった出来事だった。

 

 

 

 

「醒めないまま 音が止まり 朝がきても

今はまだ不安なんて忘れていられる

近づけば消えてしまう霞の中

煌めいて 怖い夢にはぐれないように」

 

 

 

 

 彼に最初に会ったのは、14年前の夏だった。鮮明に覚えている。母方の祖父母の家にお邪魔していてその帰りの出来事だった。家の駐車場に車を停める時、ヘッドライトの先に小さい猫の姿があった。母と「猫がいるね」なんて話しながら、車を降りて玄関へと向かった。玄関を開けたその瞬間だった。さっきの猫が家の中にスッと入っていったのだ。母と二人で「あれ!」と素っ頓狂な声をあげても動じない。人に慣れているのか、出ていく気配もない。「ご飯だけでもあげようか」となんとか外に彼を出して残り物のご飯に鮭のフレークをまぶしてあげた。

 彼は、次の日になっても家の周りにいた。夏休みで父も自分の創作活動をしたり、庭の草取りをしたりと外で作業をしていることが多かった。彼は、父の周りをうろちょろしながら、虫を追っかけてみたり、日向ぼっこをしたりと自由に過ごしていた。

 あまりにも僕たち家族に親しげなので、最初は一緒に暮らすことに後ろ向きだった親も「まあ、いいか」というような調子になり、結局彼と暮らすことになった。

 その時に、母が言っていたこと今思い出す。「いつか亡くなること、その辛さに向かい合わなければいけないことは受け入れなきゃいけないよ」。

 

 

 

 

「歩んでくテンポは 刻む鼓動に合わせ

チクタク いつも いい調子さ 暗い闇でもキープして

行く先がどこでも やりたいことたくさん

このビートでぶっとぶ」

 

 

 

 

 彼との思い出は山のようにある。小さい頃は、お互いガキだったので近くの原っぱにくり出して追いかけっこしたり、彼のことを付け回してみたりしてた。彼が他人の家の畑でうんちしてれば親に報告したし、バッタをムシャムシャ食っているところを見てしまい「まじかよ」と呟くこともあった。で、大体その後吐いてるので呆れたりもした。

 恐ろしいほど、人懐っこく玄関に誰か来るといつも擦り寄っていってた。動物が苦手じゃなければ大丈夫だと思うが、苦手な人にはたまったもんじゃないなとも思った。

 ガタイは良かったが、あまり強い雄ではなかったと思う。がさつに見えて、実はとても繊細で線の細いタイプだった。他の猫と喧嘩して大きな声で鳴いているのを何度も聞いたことがあるが、なんとも気合いの入らない声だったのをよく覚えている。相手の声が太くてたくましいとすれば、彼の声はミドルボイスのような声。彼が鳴いている様子を見つめている相手の顔が奇妙な生き物を見る形相だった時は笑ってしまった。

 大きくなるにつれて、彼との付き合い方も大分変わった。僕が家にいないことが増えたし、あまり小さい時のような激しい戯れあいはしなくなった。お互いが大人になったからなのかもしれない。それでも、たまには一緒に寝ることはあったし、彼がちょっかいをかけてくることもあった。腐れ縁の友人のような、兄弟のような、そんな関係だった。

 

 

 

 

「さぁ その手を離すなよ」

 

 

 

 

 数年前から、あまり調子がよくなかった。何年か前に口内炎になりものが食べられなくなり、酷く弱った時があった。猫の口内炎は人間のそれと違って致命傷になることが多い。一瞬嫌な想像がよぎった時もあったが、その時はなんとか持ち直した。

 去年の秋口から冬の間だったと思う。僕自身も忙しくて、詳細なことは覚えていないのだが、恐らく交通事故にあったと思われるかたちで家に戻ってきたことがあったらしい。その時も、容態は良くなく、死がチラついた。しかし、そこでも彼は持ち直し、正月に実家に帰った時には元気な姿を見せてくれた。最新機種のiPhoneで写真をたくさん撮った。

 最後に会ったのは、多分3月23日。コロナが大々的に流行り始める手前で、東京の方に出たのはこれが一番最後となっている。22日から23日にかけて僕にしては珍しくオールで飲んでた日で、起きたのは昼過ぎとか。正直、あまり記憶がなく最後の姿を覚えていない。これが最後になるとは思っていなかったから。

 

 先週、母から彼が「危ない」という連絡を受けた。何も食べなくなり、動かなくなってしまったらしい。病院で診てもらったところ、腎臓がすでにダメになっていたらしい。こればかりはどうしようもないことで、すなわち老衰のひとつになるのだろう。薬と点滴で命を延ばすことはできたらしいが、両親は最低限のことをしてもらい、後は家で過ごさせてあげることに決めたらしい。週明けの退院が決まっていたので、彼の容態を自分もずっと気にしていた。

 容態は急に悪化したらしい。27日の朝から調子が悪くなり、父が迎えに行った時には、すでに弱っていたと聞いた。家について、大好きな座布団の上に彼を横にしてあげると何も言わず、静かに彼は逝ったらしい。

 

 「らしい」としか言えないことが、どうしようもなく悔しく、最後に側にいてやれなかったことが無念でしょうがない。「別れ」が来ることは分かっていたし、覚悟もできていたがやはり受け入れることはなかなか難しい。

 訃報を受ける前に観ていた映画の一節が、胸に突き刺さっている。「思い出すのはその日ではなく、そのひとときだ」。彼は「思いを馳せる」存在から「思い出される」存在になってしまった。そのひとときを大切にしながら生きていこうと思う。彼が確かに存在したことは自分が亡くなるまでは証明し続けられるのだから。

 

 

 

 

 

 

「醒めないまま 音が止まり 針は進む

行かないと ここにいても 夜明けは見えない

少しずつ小さくなる あかりを背に

ゆらめいて 日が登れば また会えるかな」

 

 

 

 

2020/7/28

 

 

 

言葉と環世界と人生〈「メッセージ」を考える〉

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恋人が家に来る。特別に何か用があるわけでもないのでお菓子と飲み物を用意して映画を見始める。暗くした部屋で映画の音のみが空間に反響し、恋人の顔にはテレビ画面の明かりがチラチラとよぎる。画面を観る眼差しの出発点には栗色の美しい瞳が輝いている。その瞳を見つめていると、眼差しのベクトルが変わり視線が交錯する。その時思うのである。彼女には何が見えているのだろうか。どんな世界が彼女をという一人の人を取り巻いているのだろうか。今何を考えているのだろうか。「何?」と聞いてくるのを適当にはぐらかして再びテレビの画面を見つめる。

 


ドイツの生物学者ヤコプフォンユクスキュルは、環世界という考え方を提唱したことで名高い。生物はそれぞれ固有の知覚によって世界を認識するため、世界は客観的ではなく、主体的に構築されているというものだ。彼の代表作「生物から見た世界」にはカタツムリやダニなど様々な生物が構築する世界像が語られている。例えばダニは視覚と聴覚がない。ダニが知覚できるのはダニが飛びつく哺乳類が発する酪酸と呼ばれる物質の匂いと哺乳類の体温のみなのである。私たち人間には想像もつかない世界がそこには広がっている。

 


今年の元旦に古い友人の家にお邪魔した。彼は既に結婚していて新居で奥さん、娘さんの三人で暮らしている。玄関が開き久しぶりに見た彼の顔が、父親の顔になっていたのには驚いた。まだ2歳にも満たない小さい娘さんと友人、彼と彼の奥さんで短い時間ではあったが楽しい時を過ごした。短い時間の中での話題の中心はやはり子供だった。子供の誕生は、人生でも大きな転換の瞬間だろう。ドミニク・チェンは娘が生まれた瞬間に「はじまり」「終わり」が一緒に訪れたような感じがした、と述べている。僕は、まだその瞬間を経験していないからわからない。いつかその時が来るのかもわからない。生命の誕生がもつ意味、ひとつの世界がはじまるというその瞬間に立ち会うということがどれほどのものなのか。彼の父親らしい顔つきがその答えなのかもしれない。

 


昨年の一月に母方の祖母が亡くなった。大学の卒業論文を提出し、卒業も決まり、春から社会人というその矢先での出来事だった。結局、祖母は私が働きはじめてからの姿を見ることなくこの世を去っていった。十年ほど前に倒れ、それ以降入退院の日々を繰り返していた。最後は介護ホームで余生を過ごした。死の一週間ほど前に体調が悪化し、医者からはいつ逝ってもおかしくないと言われた。ある夜、病院から電話がかかってきて、すぐに病院に駆けつけた。苦しそうに呼吸をする祖母を前に何も言葉が出なかった。ただ手を優しく握ることしかできなかった。呼吸のテンポが緩やかになり、祖母は静かに逝った。

 


人の死を見たのは初めてだった。「生きているもの」が「生きていない」ものへ変わる時、その差異は明らかである。有機物が無機物に変わるようなそんな感じだ。「生き物」から「モノ」になったとその時思ってしまった。それは別に悲しさを感じなかったとかそういうことではなく、ただ事態としてそういうような瞬間を経験したということに過ぎない。人の死、命の灯火が消えるということはひとつの世界が幕を閉じるということに等しい。

 


人生とは「悲しみ」「愛しさ」「悔しさ」、沢山の名前を与えられた感情、無限大のクオリアを空間と時間の流れの中で経験していくものである。それは「流れ」というだけあってベクトルのある直線的な在り方を想起させる。今日が昨日になり今日が明日になる。細かいことを気にせず日々を生きていれば、私たちはレールの上を歩いているだけのように思える。ただ本当にそうだろうか。

 


過去とは、記憶と記録の中にしかない。今はもう存在しないものだ。未来は存在しない。頭でこねくり回して想像してる淡い想像の断片は想像の域を出ない。在るのは今この瞬間だけだ。

 


生物の成長やモノの腐敗を見た時、私たちはそこに時間が流れたという印象を受ける。しかし、時間が流れたから成長したり腐敗するのではない。事象はそれとして変化を起こしただけである。私たちがそこに時間の流れを見るのは私たちが成長や腐敗を時間の流れと轍を共にすると思っているからである。

 


時間という概念は概念でしかない。そして直線的に進むという時間のイメージも私たちがそう考えているにすぎない。ではもし、その概念のイメージを覆す別の時間概念が存在したら。「未来」「過去」「現在」を共時的に考える別の時間概念を獲得したらどうなるだろうか。私たちが人生の中で感じる様々な事象がもつ意味は変わるのか。

 


冒頭で私は、「愛情」「誕生」「死」をとりあげた。これらの事象・感情はライフイベントにおいて大きな意味をもつものである。そしていずれも「いつ起きるか」「誰が関わるのか」わからない。しかし、共時的な同時的認識様式を手にした時、それぞれのライフイベントがもつ意味は大きく変わるはずである。その時、私たちはどのように生きるのか、どのように人と関係を築くのか。

 


映画「メッセージ」は、ルイーズという言語学者の人生の物語である。ヘプタポッドと呼ばれる地球外生命体と言語学者のルイーズはコミュニケーションをとりながら彼らがなぜ地球にやってきたのかを探ろうとする。彼らの言語に触れ、理解を深めていく中で、彼女は新しい認識様式を獲得していく。それが彼女にとって人生の意味を問い直すきっかけとなる。

 


「言語に触れながら、新しい認識様式を獲得する」という言葉だけを聞くとサピアとウォーフが提唱した言語相対仮説が思い浮かぶ。実際、劇中にもその言葉は出てくるし、原作者も言語学についてそれなりに調べていることが伺える。学問的な目線から言えば、なかなか論争の的になるもので厳密なことを言うと映画で説明されるようなイメージとは異なるかもしれない。しかし、その仮説が部分的にであれ納得がいくものであることはわかる。私たちが最初に獲得する母語に強い影響を受けていることは自覚できる。例えば、車に向かって歩いている人の写真をアメリカ人とドイツ人に見せた時、多くのアメリカ人は「人が歩いている」と答え、多くのドイツ人は「車に向かって人が歩いている」と答えるらしい。これは英語がある状況において人の動作に着目しがちなのに対し、ドイツ語がある状況の全体的な描写に着目するという言語上の差異に起因する。すなわち、これは同じ状況を見ていても言語が異なるだけで見え方が異なるということである。

 


メッセージではその言語相対仮説をより極度な展開に持ち込んだと言える。すなわち、ヘプタポッドと呼ばれる地球外生命とのコミュニケーションによって新しい言語的視野を獲得したルイーズがヘプタポッドの同時的時間概念を獲得し彼女の時間認識そのものが大きく変容する。彼女は「未来」「今」「過去」と繋がれるようになる。彼女はその時間認識によって未来と繋がり、人類を明るい未来へと導くことに成功する。

 


これだけ聞くと「超能力を手にする」というSFにありがちなストーリーだと思われるが、そこに留まらないところがこの映画の魅力であり、もっとも考えさせられるところなのだ。

 


映画序盤から中盤にかけて、ヘプタポッドとの接触を重ねるたびに彼女が今まで得ていた逐次的時間認識がエラーを起こし始める。娘と遊ぶ自分の姿など未来が見え始めるのである。彼女は物語の終盤で自分の脳裏に浮かぶ映像が未来であるということに気付き、それが引き金になって物語が動き始める。

 


注目すべきは彼女の先の人生が明るいことばかりではないということだ。夫と別れることになるし、娘は10代半ばあたりで難病にかかり亡くなる。映画進行時点ではまだ結婚もしていないし、娘も生まれていない。

 


映画の最後でルイーズは自分の未来について決断を下す。私たちがその決断を見守りながらエンディングロールが始まる。

 


もし、私たちがルイーズのように共時的に時間を認識できるようになってしまったら、私たちは未来に対してどのような決断を下すのだろうか。例えば、20代半ばで結婚。双子の子供が生まれるが1人は小児癌にかかり闘病の末亡くなる。妻は子供を失ったショックで物が食べられなくなり拒食症に。仕事は順調だったが、40代半ばで感染症が流行し、その影響で会社は倒産等々。このような未来が見えていたら、どのような選択をするだろうか。敢えて悪いことばかりピックしたが、当然喜ばしいこと楽しいこともあるだろう。最愛の人と結ばれたこと、子供の誕生、仕事での成功。人生は、プラスにもマイナスにも大きくふれる可能性に満ちている。もしその全てが見えてしまっている時、私はそれをどう捉えて前に進めるのだろうか。

 


「未来が見えてしまったら」という思考実験の面白さ、そして言語がもつ可能性をメッセージは私たちに伝えてくれる。しかし、私がそれ以上にこの映画から学んだことは、人生についての考え方である。

 


断章で述べた環世界は、類や種といった大枠のカテゴリーに当てはまるものではなく生物の個体ごとにそれぞれの環世界があることを示唆している。映画ではルイーズの環世界が画面いっぱいに映る。

 


彼女のライフイベントを見つめていると、改めて人生とは予期せぬ出来事に満ち溢れているものだと感じる。「もしあの時、ああしてたら」というフレーズは後悔に付き纏うものだが、それは「だったかもしれない」という帰結にしか終わらない。僕らは運命という誰もが知り得ないレールの上を綱渡りで進んでいる。歩んできた道は見えても、これから歩む道は見えない。ただ無数の足跡が残されているだけである。

 


挫折や失敗は生きていれば、誰しもが味わうものだ。自分もつい最近、精神の未熟さを痛感する出来事に遭遇したばかりだ。空虚感、自分という人間の醜さを垣間見て、反吐が出そうになった。自分がこれまで歩んできた道を否定するわけではないが、何か間違ってしまったんじゃないかと考えずにはいられなかった。実際、間違っていることもあっただろう。

 


壁にぶつかって砕け散った脆い精神が今もなんとか踏みとどまっているのは、未来への希望を捨てないルイーズの姿勢に強く励まされたからである。彼女は全て知っている。これからの悲しみも幸せも、全てである。それでもなお、来たる悲しみに向き合うことを決め、来たる幸福を存分に享受しに歩み出すのだ。僕は、僕らはまだ何も知りえない。これからの悲しみも幸せも、全てである。それならば淡い希望にすがって明日を生きるのも悪くはないのではないかと思う。可能性は残されている。

 

 

 

 


映画に励まされるなんてことがたまにある。厳しい世の中ではあるがへこたれずに生きていきたい。

近況とコトの再構成<事実の多面性>

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  最近、Netflixで配信されている「13の理由」を観ている。やっとシーズン2まで観終わった。リバティ高校に通うクレイ・ジェンセンが自殺してしまった同級生ハンナ・ベイカーの生前に録音したカセットテープを聴き始めるところからストーリーが始まる。テープは両面で13の録音があり、一つの録音がそれぞれハンナを自殺に追い込んだ人へと向けられている。つまり、テープの内容はハンナが死に至るまでのストーリーなのである。クレイはテープを聴きながら、ハンナがなぜ自殺という選択にたどり着いてしまったかを知ろうとする。ここまでが、シーズン1の内容である。シーズン2では、ハンナの両親が学校側に対して行った裁判を描きながら、テープに出てきた人たちのハンナとの交流が回想される。

 

 ティーンエイジャーが抱え得る問題を非常にリアルなタッチで描いた作品だ。学校でのいじめやレイプ、薬物依存、自殺などの問題を取り上げつつ、これらの問題にどう向き合えばいいのか。周りの人間や大人がどのように対応すればいいのか。その困難さや苦悩も描かれる。

 

 シーズン1を観終わった時点で、着眼点の鋭さとその描写のリアルさに圧倒された。徐々に孤立し、段々と頼れる人がいなくなる。というよりも、自ら孤独だと思い込んでしまうのである。人を信じられなくなるのだ。その感情表現の生々しさが観てる側にも伝わってきて結構辛いものがあった。

 

 どちらかというと、シーズン1はその描写のリアルさに驚いた部分があったが、シーズン2を観てあることに気づいた。当たり前のことではあるが、事実は多様な側面を持っているということである。例えば、ハンナが語る事実は「ハンナの事実」であってあらゆる対象から独立した確固たる事実ではないということだ。事実が「語られる」以上、そこには語り手の存在がある。語り手が見て、感じたことで事実は構成されている。つまり一つの事象に対しての事実は、それを語る語り手の数だけ存在するということである。現に、裁判で証言に立ったハンナの同級生たちは、ハンナとの出来事を自らの事実として語り始める。事象、つまり「起こったこと」は誰の目から見ても同じであっても、それを感受する僕たち一人一人が構成し認識するものはそれぞれ違う。そうした事実の多面的な側面がシーズン2では強調されて描かれていた気がする。

 

 同じように経験してきたことでも、自分が感じたことと他人が感じていることは違う。どうしても主観的なイメージが先行してしまって、物事に対する向き合い方が一方的になってしまうことはある。デリケートなことや感情を逆撫でするようなことなら、尚更冷静でいることは難しい。

 

 一方的な見方を避けて、自分の心象と相手の心象の観点からある物事を俯瞰的に見る最良の方法はなんだろうか、とこの作品を見た後にぼんやりと考えていた。真っ先に思いついたのは、話し合うことである。お互いが、一つの物事に対して解釈を出し合い、抽象的な点から具象的な点にイメージを再構成する。これは、ある一つの事象における事実の再構成という側面で有効なだけでなく、話し合った人の間でお互いへの理解が進むという面でも有益だ。何よりも、それぞれの人がどのような視点で物事を見ているかということを知れるという意味でも面白い。

 

 上記ではなんだか難しそうに述べたが、要はおしゃべり、そしてそれを通して得られることは意外にも多いということである。話しているなかで、自分の口から思いがけない言葉が出てきて、初めて自分が何を感じていた理解したことが僕にはある。話している最中に一つのシナプスと別のシナプスが繋がることもあった。

 

 そうした「おしゃべり」というものを一つのコンテンツにしたら面白いかもしれない。そう思った。そんな時、たまたま地元の友人がnoteに書いた記事を読んだ。その内容を見て、「もしかしたら、自分と似たような考えを持っているのではないかと思った」すぐに彼女に電話をかけ、お互いの考えていることを共有した。いくつかの部分で、合致しないこともあったが、「語り」という切り口でコンテンツを一緒に作っていこうという話になった。

 

 今は、そのコンテンツの立ち上げに向けて彼女とその形式を整備している。内容としては「語り手の人生グラフをもとに、ターニングポイントに関して話を重ね、その人のもつ考え方や感情を共有する」というものだ。段取りや共有の方法に関しては、まだまだ議論していかなければいけないことが多いが、自分たちが考えるものをカタチにしていく作業の中で久しぶりに何かに熱中するという感覚を取り戻しつつある。

 

 自分は、自らが向き合った事象に関して自らの心象を述べるということをブログを通して続けてきた。そしてこれからも続けていくと思う。なぜ心象を発信し続けるのかと言われれば、それは自分が述べたいからにすぎない。書きたいから書いているのである。僕は、人が読みたいものに媚びて書くことはできない。自分が向き合い、心の底から感動したり影響を受けたものでなければ、言葉にできてもそれはただの記号の羅列になるし、多分無味乾燥なものになる。

 

 こうした発信とは別に、新たな試みを同じ意志を持った人と共同で始める。そして、この試みはその場において第三者を交え、お互いが発信と受信を重ね合う中で生まれるコトの創造である。いや、創造ではない。コトの再構成である。そこでは明確に共有されるものが決まっているわけではない。語るという過程の中で、語り手・聞き手の背景のうちに共有されるものが決まるのである。

 

 この試みが上手くいくかどうかはわからない。今はただやってみるだけである。この試みに関心があったり、意見があればぜひ声をかけてほしい。